ベルナルド・ベルトルッチ監督は「ラストエンペラー」で世界的名声を得て、巨匠と呼ばれる映画監督になりましたから、映画ファンならずとも名前はご存じでしょう。


「ルナ(La Luna)=イタリア語で月の意味」は、1979年のアメリカ・イタリア合作映画で、日本公開は1980年4月です。




「ルナ」は、母と息子の近親相姦を描いた作品ということで、公開時にはかなりスキャンダラスでしたが、その後、ほとんど目にするこ
とはなく、長い間、幻の映画でした。


2013年にやっとDVDが日本で発売されたのは、とても嬉しいことですが、前回書いた「ナッシュビル」のように、再販はないかもしれません。ファンなら必ず買いましょう!


なぜなら、これは名作だからです。


ベルトルッチ監督の映画はすべて観ましたが、彼の初期の「暗殺のオペラ(1970年)」とこの「ルナ」は、どちらも素晴らしい傑作です。この2作を彼のマスターピースというと、ほとんどの方に異論があると思いますが、俺的には、この2作は、特にルナは、俺の映画史のベスト5に入ります。


これを書くのに、確かめたいことがあって見始めたら、また全編見てしまった。そして、一人だったので、思い切り泣いてしまいました


公開当時、銀座みゆき座でも泣いてしまったことを思い出しました。この映画で泣くと、なんか俺の生い立ちや、母との関係に問題があったように思われそうで、突然現実に戻り、逃げるように立ち去ったのを覚えています。ないですよ。ご心配なく。




映画は、ローマ郊外の海辺の自宅で、子どもが恐らく1歳の時から始まります。


ある昼下がり。


海に面した家のテラスで、1歳の子どもが素っ裸で、はちみつで身体をべたべたにして、むせて咳き込んでしまいます。


母はあやしながら、子どもの手に垂れたはちみつを舐めてきれいにします。


親父は、海で釣った魚を持ち帰り、テラスの塀に腰かけて、魚を開きながら、そんな母子を微笑みながら見ています。


愛情に満ちた平和な昼下がり。


ヘリコプターが上空を飛んでいきました。


家には親父の母親が同居しています。彼女はリビングでピアノを弾いています。これが、映画のテーマ曲です。母親は、姑を完全に無視して、姑のピアノをかき消すかのように、レコードで流行歌をかけ、親父と踊り始めます。

海辺のむきだしの太陽を逆光に、楽しげにスイングを踊り続ける2人。


親父は手に魚を持ったまま踊っていますが、逆光なので魚がナイフに見えます。姑との確執も感じ、幸せな風景とは違和感のある緊張感があります。


海辺の家の背後には、少し変わった形をした山がそびえています。


場面変わって、夜、山からは見事な満月が登っています。


母は1歳の息子を自転車のかごに入れて家出します。母は静かに泣きながら自転車をこいでいます。息子は無邪気に笑っていました。


ここで初めて、映画のタイトルが出ます。





さて、息子を連れて、夫と姑を捨て去った母は、ニューヨークに移住して、すぐに新しい男と結婚し、自分はオペラの世界的な大スター、プリマドンナになりました。


時は経ち、1歳だった息子は、現在15歳です。


イタリアでの記憶は全く持っておらず、アメリカ人の父親を本当の親父だと信じていますが、その育ての父親が、ある朝、突然、心臓発作で亡くなってしまいます。


傷心の母は息子を連れて、オペラ発祥の地、イタリアに移住します。


思春期まっただ中の息子は、父を失った喪失感と、環境の激変について行けず、ローマの不良達と付き合うようになり、ついにヘロイン中毒になってしまいます。


母親は息子を更正させようと、恐らく初めて息子と真剣に向き合いますが、現実的に対処することが全くできません。


ついに、母親は、息子の出生の秘密を打ち明けて、最初の結婚相手である息子の実の父親に、息子を対面させるというストーリーです。


映画は140分の長尺ですが、映画も後半で、息子は初めて実の親父と対面します。


息子の方は、実の親父だと分かって会いに行きますが、親父の方は自分の息子だとは気づきません。


息子はついに名乗りを上げないまま、親父と一旦別れて、親父の自宅まで彼の後をつけます。


そこが、映画冒頭の、息子の生家でした。


海岸沿いの道には、特徴のある山がそびえています。

母親が親父を捨てた日、満月が昇っていた、あの山です。


15年ぶりに見た自分の本当のふるさとの山。そして自分の生家。


その家は、まるで時間が止まったかのようでした。


15年前と全く同じたたずまい。おばあちゃんも健在です。あの日と同じように毛糸を編み、同じ曲をピアノで弾いています。


息子は1歳の時の記憶がよみがえったのでしょうか?映画冒頭の夏の午後を思い出したでしょうか?


映画は一切そこには触れていません。


以前このブログで書きましたが、人は1歳の時の記憶は失われることになっています。


幼児健忘症といって、人の脳の正常な発達には欠かせない記憶喪失です。つまり、息子には、生家での記憶は完全に失われてしまっているはずです。


ところが、その時、上空をセスナ機が飛んでいきます。


この映画の素晴らしい演出の一つです。


そうです。あの時、上空をヘリコプターが飛んでいました。


息子はすべてを理解したことでしょう。


思春期にあって、ヘロイン中毒になるほどに、自己のアイデンティティを失っていた彼にとって、ここに戻って来ることが、いかに大切なことだったかが分かります。


「ルナ」は、男の人生の「過去への回帰」がテーマです。


人はやはり、自分がどこから来たかを、ちゃんと知る必要があるのです。


息子が親父と再会してからは、映画のクライマックスです。


この親父は本当にいい。台詞はあまりありませんが、男としての強さも弱さも、すべてが表現されて、心を揺さぶられるものがあります。


これ以上、ストーリのことは書きません。


発達心理学者のいう幼児健忘症(脳は正常な発達過程において、3歳以前の記憶を失う)は、これは真実なのでしょうか?


じつのところ真実とは思えません。


最初の記憶は、きっと深層心理には永遠に刻まれており、さまざまな形を変えて、折に触れ、突然表出するのだと思うからです。


それは、プロペラの音だったり、流行歌だったり、はちみつのべたつきだったり。


時に、甘く。時に、悲しく。


失われた記憶とは、もしかしたら母の子宮までに及ぶのかも知れません。


そして、もっと以前の、母の中に入った親父と、その親父の母親にまで。


満月を見る時に、人は自分の過去への回帰を見ているのかも知れません。


母子の近親相姦は、このテーマの象徴の一つにすぎません。確かに近親相姦はスキャンダラスですが、そればかりを言及する多くの人は、目は節穴。一体、何を観てたんだろうと思いますね。


ベルトルッチ監督は、「ルナ」を製作する前、何かのインタビューで、過去形のSF(サイエンスフィクション)を作りたいと言ったことがあります。


「過去形のSF」とは一体どういうことか、当時、「暗殺のオペラ」に嵌っていた俺はずいぶん考えましたが、ふと、この「ルナ」が、そうだったのかも知れないと思いました。


最後に。


この映画では、ヴェルディのオペラが演出として多用されています。特に、「トロバトーレ」と「仮面舞踏会」は、実際に母の出演するオペラの舞台シーンとして使用されて、非常に重要です。


特に、映画のラストシーンは、ローマの野外劇場で、母親の演じる「仮面舞踏会」のリハーサルが使用されるからです。


オペラ「仮面舞踏会」のストーリーは映画とは関係ありませんが、このオペラシーンを知っておいた方が、映画が楽しめます。


少し仮面舞踏会の話をすると、オペラの主役である領主は、厚い忠誠心と男同士の友情で結ばれた家臣の妻(プリマドンナ)を愛してしまい、その代償として、家臣から暗殺されてしまうストーリーです。


映画のラストシーンは、この暗殺の場面です。つまり、オペラ「仮面舞踏会」のラストシーンが、映画のラストシーンと同時に進行するのです。


暗殺は華やかな仮面舞踏会の最中に行われます。


嫉妬と復讐心に狂った家臣は、ナイフを1突き、領主の胸に突き立てます。


愛した女性の前で、息絶える領主。


しかし領主は、絶命する前に、息もたえだえに、自分を含めてすべての人を許します。


死にゆく領主を、まるで神の領域にまで高める、この世のものとは思えない美しいコーラスの中で。


母親演じる家臣の妻(プリマドンナ)は、自分のあやまちを嘆きながらも、心からの叫びでこのドラマに救済を与えるのです。


そこで映画「ルナ」はエンドタイトルを迎えます。


そのオペラ場面で、何が起こったかは、是非、映画を観て、ご自分で体験してください!


オペラ「仮面舞踏会」のシーンを事前に知っておけば、「ルナ」は100倍感動することでしょう。


俺のように、涙なくしては見られないと思いますよ!




※もし、ヴェルディの「仮面舞踏会」を聴いてみようかなと思われる方は、画像のものをお勧めします。ドイツ・グラモフォン社、クラウディオ・アッバード指揮のものです。間違いなく、これまでCD化された「仮面舞踏会」のなかで、最高傑作だと思います。どうせ聴くなら、最高のものを。


にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ
にほんブログ村