ノート書いてもかわらない。

 

 

ノート書けば変わる。感謝すれば変わる。

だけどやっても全然変わらない。

何で?どうして?

 

 

在り方を決める。

 

一体それは何?

それより、すぐに変われる方法、幸せになる方法、願いが叶う方法が知りたい。

そんな焦燥感にかられていて、

方法ばかりを探していた。

で、それが上手くいかないとまた別な方法をさがすの繰り返し…

 

方法探しジプシーをしていました。

放浪し続けました、ホントに笑い泣き

 

 

在り方って何なのか?在り方を決めるって何なのか?

言われても全然分らなかったし、スルーし続けていた笑い泣き

(方法を探すのに必死だったから泣

 

 

脳心理学を学んだり、本当に変化することのない自分に嫌気がさしてきて、

どうして自分をこんな風にしているのだろうか、

自分が自分に対してしている事を見たとき、

初めてこの「在り方」の意味が分ってきました。

 

藤本さきこさんは

「私の幸せ私次第」「どんな私でも幸せだ」とおっしゃっています。

 

どんな私でも幸せだ」という事を聴いた時、

身体がすごいザワザワしたのを覚えている。

 

「どんな私でも幸せ」だなんて思えない。

そんな事を思ったらダメだ。

思ったらずっとこのまま。

 

ダメだ、ダメだがリピートゲロー

 

 

怖くて、それを鵜呑みになんてできなかった笑い泣き

 

 

しかし、身体が感じたザワザワ感。

 

このザワザワ感は、

これをしたら人生が変わる怖さ。

 

 

求めている事に近づこうとすると、それを阻止しようと

別な事を考え始める。

 

人生が180度変わってしまうから。

 

 

私の場合は「どんな私でもOK」を受け入れる事が怖かった。

本当の私はこれを望んでいるけど、肉体の私というか、

思い込みにとらわれている脳みそがこれを拒否。

(自己肯定感や自己効力感の低さなどもあったかもしれない)

 

受け入れたくないから、決めたくないから、

変わりたいといいながら、変わるのが怖いから、

自分で自分を恐怖や不安にするような事を考えて、

結局できないでグルグルしていた笑い泣き

 

 

「どんな私でも幸せだ」

 

表現は違うけど、

「どんな私でも大丈夫」「どんな私でも良い」と同じだと思います。

そして誰もがこう思いたい。こういう自分でいたいを望んでいる、はず。

 

だけどこれってすごく怖い。

 

このままだったら成長しない。成長しなければ。

このままだったら変わらない。変わらなければ。

 

常に聞こえてくる声。

 

その声は一体だれの声なのか?

 

誰でもない、自分自身。

苦しくしているのは自分自身。

 

それをやめるだけドキドキ

 

 

自分がどう在りたいのか?

どういう自分でいたいのか?

 

 

「方法」を探すよりも

 

自分を整えましょうラブラブ