だいぶ間が空いてしまいましたが,続日本紀の続きを読んでいきます。
時は760年(天平宝字4年),淳仁天皇の治世3年目です。
【11月6日】
淳仁天皇は,この日,大赦を実施します。
該当箇所を抜粋しましょう。
…いま春の陽気がはじめてきざし,太陽は最も南に来ている。大地はものをはぐくみ,天道はふたたび動いてきた。朕は思うのに,地と天の動きに従って,仁を施し恵みをくだし,この人民に時の恵みと共に新たな気持をもたせたい。天平宝字四年十一月六日の夜明け以前の,天下の罪人の罪の軽重を問わず,すでに発覚したもの,まだ発覚していないもの,獄につながれているもの,およびのがれた租・調や,官物の未納で申告済みのものは,すべてこれを免除せよ。ただし八虐を犯したもの,故意の殺人,贋金づくり,反逆の徒で隠れて自首しないものは,免除の範囲に入れない。
続日本紀の日付では11月6日ですから,実際に春だったわけではなく,寒い日が続いた中に暖かい日があったんでしょうね。
現代からみた恩赦は,(少なくとも私の理解では)受刑者の残りの刑期を免除し刑務所から出所させるものです。
この当時の恩赦は,現在勾留中の犯罪者のみならず,指名手配中の犯罪者や,まだ事件化されていない事案も含め,水に流そうというもので,現代でいうところの「時効」のような意味合いもあったようです。
興味深いのは,租税逃れも犯罪とみなしている点。
徳政令も一種の恩赦だったのですね。
記載にある八虐は,律令に定められた8種の重大犯罪類型を差し,Wikipediaでは以下のように説明されていますね。
① 謀反 … 天皇殺害の罪
② 謀大逆 … 皇居や陵墓の損壊罪
③ 謀叛 … 国家に対する反乱,外患誘致,外国への亡命
ここまでは,「謀」つまり計画段階でバレても死刑です。
④ 悪逆 … 尊属殺人
⑤ 不道 … 大量殺人・呪いなど一般的な重罪
⑥ 大不敬 … 神社や天皇に対する不敬罪
⑦ 不孝 … 殺人以外の尊属に対する犯罪 (尊属の告訴,服喪違反 等)
⑧ 不義 … 主君・師匠・夫など上位者に対する殺人
この当時は,妻からみた夫は上位者,尊属扱いになったようで,妻が夫や夫の両親に危害を加えたり不敬を働いたりすると重罪に問われるような法体系になっていますね。
ただ,当時の日本は妻問婚だったから,妻が夫の両親と接する機会というのはそもそもなかったように思われます。
律令を中国から輸入した際に,中国の習俗を前提にした規定をそのまま残してしまったのですかね。
大量殺人を重罪とするのは理解できますが,呪詛についても重罪に問うというのは現代の感覚からは理解できませんね。
こんなのが犯罪になるなら,現代の大半のサラリーマンは大半が死刑になってしまうのではないでしょうか(笑)
確かに,奈良時代や平安時代を通して,当時の有力者を呪詛したとして捕まってしまった人々は数知れませんが,当時の人々にとっては呪詛行為がそれだけ重罪と見られていた法意識が定着していたのでしょう。
なお,この年の初めに,七道に巡察使を派遣し,隠し田の摘発を実施しておりますが,本件にかかる懲罰の代わりに隠し田についても租税を徴収するよう指示が下っています。
【12月22日】
仏教寺院内でのスキャンダルに対する記載がありますので,該当箇所を抜粋します。
薬師寺の僧である華達は,俗名を山村臣伎婆都という。同じ寺の僧の範曜と博変を行なって争いとなり,遂に範曜を殺した。そこで華達を還俗させて,陸奥国の桃生の柵戸に配属した。
現代の日本でも,一般的に賭博行為は規制されていますが,実際にはパチンコ屋が街のあちこちにありますね。
また,賭け麻雀,賭けゴルフなどを仲間内で楽しんだり,野球賭博が暴力団の資金源となったりプロ野球選手が関わっていた,といった報道も過去に紙面を賑わせたことがありました。
日本人は生真面目と海外から見られていますが,その一方で無類の賭け事好きといったことも言えそうです。
時代劇でも,博徒が賭場を張って,サイコロで半丁博奕に勤しむ様子が描かれていますが,そういった光景は江戸時代もありふれたものだったのでしょう。
奈良時代や平安時代に流行った賭け事は「すごろく」です。
律令でも,すごろくを始めとした賭け事は禁止されていますが,実際には天皇初め貴族はみな熱中していました。
760年の奈良仏教寺院内でも,既にすごろくを始めとした賭け事が常態的にやられていたのでしょうね。