本日は,第8のアルカナ,『正義:裁判の女神』を紹介しましょう。
なお,マルセイユ版までは8番目ですが,ウェイト版では『力』と入れ替え,第11番目のアルカナとなっています。
タロットカードの意味は以下のとおりです。
【正位置】
・ 公正,公平,善行,均衡,誠意,善意,両立,
慈善
【逆位置】
・ 不正,不公平,偏向,不均衡,一方通行,
被告の立場に置かれる
キリスト教の世界では,神に向き合う際に求められる3つの徳性(三対神徳)と,人間に先験的に備わる基本的な4つの徳性(四枢要徳)をあわせた七美徳が提唱され,これが擬人化されてきました。
【三対神徳】
① 愛徳
乞食への施しなどチャリティ精神を意味し,キリスト教美術では『子供に授乳する母親』として表現される。
② 信徳
神に信頼を置く信仰心を意味し,キリスト教美術では『十字架,聖書,十戒の板,巻物,鳩』で表現されます。
③ 望徳
神の恩寵を待ち望む期待を持ち続けることを意味し,キリスト教美術では『両手をあわせ天を仰ぐポース,王冠,神の手』によって表現されます。
【四枢要徳】
いずれも象徴するタロットカードが用意されていますので,その回で内容をご紹介しましょう。ちなみに四枢要徳とタロットカードの対応関係は以下のとおりです。
④ 正義:アルカナ8「正義」
⑤ 賢明:アルカナ9「隠者」
⑥ 堅忍:アルカナ11「力」
⑦ 節制:アルカナ14「節制」
ヨーロッパ人にとって,正義の象徴は天秤と剣になります。
天秤がなぜ正義の象徴なのか,それは『右皿と左皿の釣り合い』が公平公正をイメージさせるためなのでしょう。
天秤のモチーフは古代エジプトまで遡ることができ,エジプト新王朝時代(紀元前1567年~1085年)の頃に成立した『死者の書』では,冥界の神アヌビスが,真実の羽根と死者の心臓の重さを秤で見比べます。罪人の魂はその罪の分だけ重いと考えられ,秤が心臓に傾けば魂は魔獣アメミトに食われ二度と現世に転生できないとされていました。
剣は,火地風水の四大要素のうち,風を表し,人間の知恵・理性・知性とそこから派生した言語・情報・科学技術を象徴するものと考えられています。
正義のタロットにおける剣は,善悪を一刀両断する,そのような判断力・知性の象徴なんですね。
【ヴィスコンティ版の正義】
(画像はこちらのサイトから拝借)
ご紹介するヴィスコンティ版の正義は,ベルガモ・パックになります。
ベルガモ・パック「正義」に描かれた女性は,ミラノ公フィリッポ・マリア・ヴィスコンティの娘,ビアンカと考えられています。
背後の,白馬に乗ったナイトは,婿養子のフランチェスコ・スフォルツァであることを『タロットの歴史』では示唆しています。
ベルガモ・パックは,フランチェスコ・スフォルツァのミラノ大公就任記念か,あるいはビアンカとの結婚10周年を祝して制作されたタロットカードと考えられるため,そこに描かれた人物はこの2人である可能性が高いということです。
ちなみに,Part 8 でご紹介した「恋人」のヴィスコンティ版もベルガモ・パックですが,こちらもビアンカとスフォルツァをモデルにしていると考えられます。
「正義」は,天秤・剣を持った女神がモチーフだから,当然主人公の女性が全面に出てくるのですが,「恋人」においても女性の方が大きく描かれています。
このあたりは,大貴族ヴィスコンティ家に婿養子ではいったマスオさん状態の傭兵隊長フランチェスコ・スフォルツァの状態が伺いしれますね(笑)。
【マルセイユ版の正義】
(画像はこちらのサイト様から拝借)
カードの構図はヴィスコンティ版と変わりませんが,異なっているのは天秤の左右が釣り合っておらず,正義の女神が左肘で片側を押し下げている,という点です。
カードメーカーにより2つの解釈がなされています。
1つは,正義の女神は人間界には存在せず,天界の女神は秤を持っていないというもので,カードに描かれた女神は秤を持っているように見えるが,それは宙に浮いているのみで,その釣り合いは天使の真意が作用している,との解釈です。
人間が,同じ人間の罪など裁けるはずはない,という含意があるのでしょう。
もう1つは,善悪の判断に不正が容易に入り込める中世当時の裁判環境を皮肉っている,という解釈です。
中世ヨーロッパでは,裁判権は,国王や教会が持っており,往々にして正しい判断などくだされていなかったと庶民は受け止めていたのでしょう。
庶民の間で適正な裁判が行われていないとの認識が広まっていた一方で,ヨーロッパ社会にとっての『正義の貫徹』,つまり裁判により罪を認識させ悔い改めさせる,ということは非常に重視されていました。
面白いのは,動物や植物に対しても,裁判をしていたことです。
その事例は,講談社現代新書「動物裁判」にいくつも出ていますので,これもいつかご紹介しましょう。
裁判の過程が,「罪の認識と悔い改め」というと,キリスト教的色彩が非常に強いわけですが,阿部謹也氏の著書「中世ヨーロッパの罪と罰」にて,夜な夜な出現する亡霊を裁判に出廷させ有罪判決を出すことで立ち去らせた,という古代の伝承が紹介されているところを見るに,裁判による正義の実現という考え方はキリスト教以前の古代ヨーロッパの習俗にまで遡りうるものなのではないかと思われます。
【ウェイト版の正義】
(画像はWikipediaから拝借)
ウェイト版の正義は,マルセイユ版とは異なり,天秤が水平になり,直線で描かれた構図が厳粛な雰囲気を醸し出しています。
「タロットの歴史」では,正義に対するウェイトのコメントを紹介しています。
「(正義とは)神,それに類似するものの存在を信じ,もっとも高く尊いものへの献身について考えることができる人が発想する美徳」
なんとも味わい深い定義ですね。