今回は,大アルカナのNo2,「女教皇」をご紹介します。
司祭は教会に所属するものとばかり思っていましたが,「タロットの歴史」にはこのようなことが書かれていました。
王侯貴族の居住空間,いま古城としてその名残を伝える建物がヨーロッパ各地に残っています。城内には必ずと行っていいほど礼拝堂があり,宗教的な習慣に則って日々を営んでいた諸侯たちの姿が彷彿とされます。
礼拝堂に仕える司祭は,読み書きに優れていることはもちろん,そこに集うあらゆる人々にもれなく聖書の内容が伝わるように,図像の力を活用することに長けていました。・・・
司祭はまた,諸侯の事務作業にも携わり,政治に介入することもあり,聖職者としての力のみならず,城の存続に関わる時制を読み解く力,先見の明にも似た力を求められたことでしょう。
城には礼拝堂が併設してあり,そこに司祭が所属していたんですね,知らなかった。
確かに,城は生活の場でもあるので,たしかに礼拝堂があってもおかしくないですね。
僧侶が権力者に囲われるのは,日本でも往々にして見られたことなので,特段珍しくはないですね。日本でも,鎌倉時代には,僧侶が読み書きできたり,会計的な才能があった人が多かったので,地頭として荘園に派遣されたりしていましたね。
本来,アブラハムの宗教である,ユダヤ・キリスト・イスラム教は偶像崇拝禁止なのですが,ゲルマン人への布教にあたっては聖書だけでは難しく,絵画等のわかりやすい手法が用いられました。
この偶像崇拝をイスラム教徒から批判されたビザンツ帝国レオン3世は,726年に偶像崇拝の禁止を布告します。
ローマ教会は,絵や像を見せてゲルマン人に布教していましたから困ります。
こうしたことが積み重なり,東西のキリスト教会対立が激化していきます。
【ヴィスコンティ版の女教皇】
(こちらのサイト様から拝借しました)
こちらは,ヴィスコンティ版でも,ベルガモパックの女教皇になります。
キャリー・イェール・パックでは,授乳している図像で描かれており,もちろん聖母マリアを意識した構図になっています。
中世後期のヨーロッパでは聖母マリア様の崇拝が盛んでした。
イタリアには,サンタ・マリアの名のつく教会がたくさん作られました。
フランスのノートルダム大聖堂は,「我らの貴婦人(Our Lady)」という意味で,聖母マリアを意味します。
この「女教皇」のモデルが,13世紀後半に生きた異端宗派の女教祖マンフレーダであるという説があります。
12世紀のミラノで,イエス・キリストが女性であることを主張するウィルへミーナによってウィルヘルム派が立ち上げられると,マンフレーダは信徒となり熱心に活動に参加し,やがては異端審問で処刑となったウイルへミーナのあとを継ぎます。そして1290年頃,ヴィスコンティ家当主マテオ・ヴィスコンティが同会に入信し,彼らは親しい存在となったのです。
このウィルヘルム派というのも本書を読んで初めて知りました。
ヴィスコンティ家はこの信仰を理由に教皇から異端審問にかけられ,神聖ローマ皇帝側に救援を求め多額の金品を贈っています。
ウィルヘルム派は清貧を旨とするため,ベルガモ・パックの女教皇は質素な身なりですね。
【マルセイユ版の女教皇】
(こちらのサイトから拝借しました)
女教皇の被り物は「三重冠」といって,教皇の「司祭・司牧・教導」の三権の象徴とされています。
他に,絵札の上半分を覆うヴェールは神秘性・庇護を表し,手に持った書物は「人間の本質や宇宙の真理についての法の書」とされています。
【ウェイト版の女教皇】
(Wikipediaから拝借しました)
こちらはウェイト版の女教皇です。
胸元の十字架,処女性・無罪を象徴する白い修道服などキリスト教のモチーフも用いられていますが,全体としてはエジプトのイシス神のイメージのほうが濃いように思われます。
ユダヤ教のシンボルも見られますね。
まずは,手に持った書物ですが,これは聖書ではなく,カバラの律法書TORAです。
両脇に立つ白黒の2柱,Jはヤキン(Jahkin)で神の慈悲を意味し,Bは(Boas)で神の峻厳を意味します。
旧約聖書でソロモン王がイェルサレムに立てた神殿の柱をモデルにしています。
背後に描かれた「ザクロ」は,その高い栄養価や赤い色味から母乳・乳を連想させ,したがって女性性のシンボルとして描かれます。
足元の月も,潮の満ち欠けから,水・海洋・流動性を連想させ,これも女性性のシンボルです。
日本でも月の満ち欠けは,生命や女性を表します。
つきのもの・初潮,といった言葉に端的に現れていると思います。
従前のタロットの様式(キリスト教モチーフ)の上に,エジプトやユダヤのモチーフを重ね,さらには普遍的な女性性を表すイメージも加えるといった趣向は,ウェイト版ならではで,非常に面白いですね。