続きを読みましょう,天平宝字4年,淳仁天皇の治世3年目です。

 

 

【7月1日】

 この日,日蝕があったようです。

 

 古代中国より,太陽は君主を意味し,その君主の光が陰ることは不吉な前兆と考えられていました。この日蝕の日に国家行事や政務を執り行うことは禁忌とされていたため,中国では戦国時代から日蝕の予報を行っていました。

 

 日本でも,この考え方を取り入れ,持統天皇の時代より暦博士が日蝕の予定日を計算し,天文博士がこれを観測して,天皇陛下に密奏を行なう規則が成立しました。

 

 だから,歴史書に記載のある日蝕は,ただの観測事実という以上に,不吉な事象の前触れとして記載されていると思って読む必要があります。

 

 

 ちなみに,暦(こよみ)は日読み(かよみ)の意です。

 同様に,聖(ひじり)は日知り(ひしり)の意です。

 

 日本において,暦を編纂する作業は宗教的権威も備えた朝廷の仕事と捉えられていました。

 もともと,日本の王権は,農業神と世俗王権を兼ね備えた性格を古くから具備していましたから,カレンダーの編纂や天変地異を鎮める宗教儀礼も,当然のごとく王が人民に求められる権能なのです。

 

 

 

【7月23日】

 

 大僧都良弁・少僧都慈訓・律師法進らが次のように奏上した。 

 ・・・ 勲功のある僧に報いることが無いと真の悟りを開いた名僧を登用することはできず,行住の段階によって差を設けないならば,どうして流浪して修行する僧たちを励ますことができましょうか。・・・ 現在は像法の世がまさに末法の世になろうとしている時期で,僧たちはやや修行を怠ると ころがあります。もし褒めたりとがめたりすることがないと,どうして善悪の区別を明らかにすることができましょうか。そこで僧位に四位十三階を制定して三学を修め,六宗の中でも勝れた者を抜き出して,十三階の中に位置づけ,三種類の師位と大法師位は位記を勅授(天皇が位階を授ける)によることとし,その他の階位は奏授とする位記式によりたいと思います。

 

 

 若干,用語の解説をしておくと・・・

 

 大僧都・少僧都・律師は僧侶のトップで,まずこれらの役職を大和朝廷が任命した上で,彼らが戒壇を構え僧侶を任命していました。つまり,国家権力が僧侶を任命していたのです。

 

 次に像法・末法ですが,仏教世界での時代認識を表す言葉です。

 仏教では,正法・像法・末法と時代が移り変わっていくとされています。

 

 正法は釈迦の教えにもとづいた正しい修行が行われている時代で,この時代にはまだ悟りを開く人が現れるとされています。

 像法は,教えの形だけが残り,中身のない修行者があふれる時代のことで,この時代にはもはや修行しても悟りを開く事はできません。

 末法は,仏教の教えが完全に途絶えてしまう時代のことです。

 

 三学とは,律・経・論を指し,律は僧侶が守るべき戒律を定めたもので,経は仏の教えを指し,論はこれらの解説論文を意味します。

 これらがまとめられたものを,各々律蔵・経蔵・論蔵といい,これら3つの蔵に精通している僧侶を三蔵法師なんていったりしますね。

 

 

 良弁・慈訓・法進らが,僧侶にも位階制度をもうけてほしいと奏上しています。

 

 日本における仏教受容は,その最初から国家の関わりが色濃いものでした。

 そもそも,蘇我氏の仏教帰依を天皇が認める形で仏教が受入れられた。

 だから,仏教は国家鎮護のために,朝廷により庇護されてきました。

 

 

 日本の朝廷は,宗教的権威も兼ねていたため,100%純粋な世俗権威ではないから,ヨーロッパの歴史と比較することはできませんが,でも,宗教権威が世俗権威にすり寄ると,大抵の宗教は堕落します。

 

 本来,宗教というのは,世俗の論理とは別なロジックをもった世界を魂の中に構築すること,そしてそこに救済を見出すのが本来のあり方だと,私個人は思います。

 つまり,現実世界とは異なる価値尺度を持つことに意味がある。

 だから,その宗派や宗教者のランク付を世俗権威に承認してもらうことは,宗教の価値を貶める行為そのものだと考えます。

 

 

 行基等,民衆に分け入り,慈善活動に取り組む素晴らしい僧侶もいるにはいましたが,全般的にみて,奈良時代の仏教には世俗権力との癒着傾向が見られましたね。

 ある意味で,この奏上の内容そのものがまさに「像法から末法への移行」を示しているように思われます。

 かれらの思考回路そのものがまさにこの時代の仏教の腐敗を表しているとも言えるでしょう。

 

 この仏教勢力の政治への介入が,平城京遷都の大きな理由の一つとなっています。

 

 

 しかし,すでに奈良時代から,末法の世に入る,という感覚はあったのですね,少し驚きです。