続きを読みましょう,ときは759年(天平宝字3年),淳仁天皇の治世2年目です。

 

 

 

【6月18日】

 この日,大宰府に以下の命令を出します。

 

 太宰府に行軍式(軍事行動に関する規程)を作らせた。新羅を討とうとするためである。

 

 続日本紀の記述のみではわからないのですが,おそらく渤海と日本で新羅を挟み撃ちにしようといった密約があったと思われます。

 

 当時,引き続き朝貢を求める日本と,唐との関係改善を果たし後顧の憂いがなくなった新羅との間で,緊張関係が高まっていました。

 

 

 

 

【6月22日】

 先の詔勅にありました「怒らないからいってごらん?」の結果開封がこの日行われました。

 

 

●石川朝臣年足さん(正三位・中納言)

 律令はあるんだけど,毎年追加される布告がフォローされてないのでなんとかしてください。

 

●文室真人智努さん(従三位・出雲守) 他1名

 正月の仏事に対する褒美目当てに,僧侶でもない者が僧侶であると国に届け出る,あるいは複数の寺に届け出て二重取りを狙う不届き者がいます。

 

●氷上真人塩焼さん(従三位・参議)

 天皇の三世にあたる王以下に下賜している春秋の褒賞は,出勤日数で評価しないでほしい。

 

●山田連古麻呂さん(正六位上・播磨大掾)

 子沢山の家庭は税金負担が重すぎるので,税負担の免除を考えてほしい。

 

 

 投書は以上で,全て担当部署に回して処理させることになりました。

 

 

 最初の陳情は,非常に現代的な問題ですね。

 

 本則に次々細則が追加され,参照先がたくさんあり,どの規則が生きてどれが死んでいるのか全くわからない,なんていう社内マニュアルが皆さんの勤め先にもありませんか?

 

 私も社内規則の編纂に携わっていたことがありますが,まぁ,このマニュアルのバージョン管理は言うは易しで行うは難しですね。

 

 

 2番めの陳情からは,当時の仏教寺院の腐敗ぶりが窺われますね。

 

 僧侶の得度は国が管理しているはずですが,末端までいけば,誰でも僧侶としてその俸禄に預かることができた,ということでしょう。

 

 

 3番目の陳情は,なんなんですかね,塩焼きさんは皇族ってわけでもなさそうだし,公務をサボって参内しない皇族から,変わりに陳情しといてとでも頼まれたのでしょうか。

 

 さすがに,本名を名乗って,会社に出ないけどボーナス出してね,とはいえないか(笑)

 

 

 4番目の陳情は,さすが地方公務員,実情をついていますね。

 

 

 流石に,いくら天皇が「おこらないから言ってごらん?」といっても,天皇や藤原家を面罵する投書はなかったですね。

 

 そのあたりは投書を出す官僚側も建前ということは理解しているのでしょう,つまらないな(笑)

 

 

【9月4日】

 

 朝廷は,大宰府に対し,以下の勅令を布告します。

 

 近年,新羅の人々が帰化を望んで来日し,その船の絶えることがない。彼らは租税や労役の苦しみをのがれるため,遠く墳墓の地を離れてやってきている。その心中をおしはかると,どうして故郷を思わないことがあろうか。よろしくそれらの人々に再三質問して,帰国したいと思う者があったら,食糧を給して自由に帰らせるように。 

 

 

 これは額面通り受け取っていいのでしょうかね。

 

 まもなく新羅を攻めようかというときに,難民に紛れスパイがいると大変です。

 だから,「再三質問」して,追い返したというのが本当のところなのではないでしょうか。

 

 

 

【9月13日】

 大宰府より,去る8月29日の台風被害報告がありました。

 

 ちなみに,日本には古くから,恐怖を抱くものとして「地震・雷・火事・オヤジ」があげられます。

 本当は,「地震・雷・火事・大風(おおやじ)」が転じたものと言われています。

 

 続日本紀には,度々災害や飢饉の報告が記録されています。