続きを読みましょう,元号は天平宝字2年,淳仁天皇の治世です。

 

【10月25日】

 この日,朝廷は役人の採用期間にかかる詔勅を発布しています。

 

 今後は6年を以て国司の任期とし,前任者を送り新任者を迎える経費を省くべきである。3年を経過する毎に巡察使を派遣し,治績を調査し,人民の苦しみを慰問させよ。

 

 この詔勅前,国司の任期は4年でした,任期延長は人民の安寧のためとしています。たしかに,政治のリーダーがコロコロ変わるのは,それに付き従う官吏や庶民が慣れ親しむまでに時間がかかるため,望ましくないのかもしれません。

 

 ただ,どうなんでしょう,そうであれば後半の「前任者を送り新任者を迎える経費を省くべき」の語はいらないでしょう。だから,私はどちらかというと後半のコストカットに本音があるように思われます。

 

 諸国の史生の交代は格によると,六年で満了するのを待って行なうとある。しかし史生の希望者は多いのに,任ぜられる部署はまことに少ない。このためにあるいは頭髪が白く なるまで待って,一度も任命されず空しく故郷に帰り,ひそかに恨みを抱くものがいる。 今後は四年を以て史生の任期とし,広く多くの者に機会を与えるように,と。 

 

 一方で同じ詔勅で,史生の任期は6年から4年に短縮されています。史生は,今で言えば一般職の公務員で,行政文書の作成がおもな仕事です。

 

 応募者の割に用意できるポストの数は少ないため,選考に漏れる人が大量に発生しました。いつまで待っても士官できなければ,お上に恨みを持つようになるのが人情です。私の同級生で,入社試験で落とされた会社の製品は絶対に使わないと言っていた人がいましたが,こういったルサンチマンを大量に生み出すことになるわけです。これを回避するために,任期を短くし,なるべく多くの人にポストが回るようにしたわけです。

 

 この公務員採用試験の落第者にいかに恨みを持たれないかは,実は中国の科挙制度の見直しにも考慮された重要な論点です。中国では,科挙の最終試験に皇帝直々の面接を課していた時代がありました。そうすると,科挙合格者は皇帝直属の官吏として忠誠を誓う反面,落とされた人間はその皇帝に恨みを持つようになります。そうして落第したエリート層が,異民族国家に亡命する事態が発生します。これではまずいと,皇帝面接で落第者を出すことはなくなり,最終順位を決めるに留めるよう制度を改めました。

 

 もしかすると,入社試験の最終面接まで進めば,よほどのことがない限り落ちることはない,というのもこの辺の経験をなんとなく踏まえてのことなのかもしれません。

 

 

 また,同日,辺境防備について以下の決定を下しています。

 

 陸奥国の浮浪人を徴発して、桃生城(宮城県桃生郡河北町字中山)を造営させた。

 

 陸奥国の浮浪者を挑発して桃生城を造営させています。彼らは戸籍も持っていないため,柵戸に編入しそのまま東北地方の防備につかせます。桃生は今も郡として地名に残っていますね。

 

 そもそも,当時の陸奥は大和朝廷の支配が及んでおらず,その境界域では朝廷に服属する者もいれば,従わない者も存在しました。前者を俘囚(758年の記録にある浮浪者はこれ),後者を蝦夷と呼んでいます。服属にあたっては,租庸調の免除などの特典があり,また大和朝廷との交易などにより,俘囚のリーダーたちは豊かになっていきます。

 

 また,俘囚たちの生活様式は,当然のことながら公民百姓とは全く異なり,狩猟とそこから発展した武芸訓練がメインであり,まさに辺境防備にはうってつけの人材だったのです。この階層から,後の世に武士団と呼ばれる集団が形成されてきます。

 

 

 

【11月23日】 

 

 天皇は乾政官(太政官)の一郭に出御して,大嘗祭の神事を行なわれた。丹波国を悠紀田とし,播磨国を主基田とした。 

 

 大嘗祭とは,新天皇が即位して初めて行なう新嘗祭のことで,新嘗祭とはその年に収穫された新米を食べ,国家安寧・五穀豊穣を感謝する宮中祭祀のことです。去年,今上陛下即位の年で,大嘗祭が執り行われましたから,その内容はニュース等で見てご存じの方も多いのではないでしょうか。

 

 もともと,天皇家は農業信仰の中心でもあったのでしょう,宮中行事には農業に関わる事項が非常に多くなっています。なかでも,大嘗祭・新嘗祭の意義は非常に大きく,宮中行事の中心的なものと言ってもよいでしょう。

 

 お米には大地のパワーを吸い上げて育ったものという意味があり,その大地のパワーというのは天皇の霊力そのものと考えられていました。大嘗祭で新天皇が新穀を食す,というのはその稲に備わる前帝の霊力を引き継ぐことを意味します。この意義については,折口信夫が詳しく述べられています,概要のみで中身をまだ読んでいないので,そのうち機会があれば読みたいと思います。

 

 大嘗祭においては,東西に祭殿を設け,東の祭殿を『悠紀殿』といい,西の祭殿を『主基殿』といい,その各々の祭殿に捧げる新穀を栽培する田を亀卜により予め2カ国に定めます。これが悠紀田と主基田です。去年の大嘗祭の悠紀田は栃木県,主基田は京都府が選ばれています。

 

 ちなみに,丹波国は現在の兵庫県東部と京都府をまたぐエリアにあり,播磨国は兵庫県南部となります。