ロンドン市当局の対応自体ついて,デフォーは賞賛を送っていました。

 

 ・・・ どんな犠牲を払い,難儀な目にあっても,市および郊外で,2つのことは絶対にゆるがせにされることはなかった。

(1) あえて言うまでもないことかもしれないが,食料は常に潤沢に手に入れることができた。値段もそう高くはならなかった。

(2) 死骸が埋められないまま,あるいはむき出しのままごろごろ放任されているということは絶対になかった。

 

 食料の値段が高騰すると,職を失ったロンドン市民が暴徒化するから,食料供給・物価維持はロンドン市の治安を維持する生命線でした。2020年現在,アフリカや中東,インドではサバクトビバッタの大発生で食糧難が深刻化していると言われていますが,そこにコロナウイルスまで来たら,当然のごとく掠奪が発生するでしょう。今も昔も,国民を食べさせるというのは施政者の最低限の役割なんでしょう。

 

 遺体の放置について,市当局は沢山の人を雇って死体運搬をさせていましたが,いかんせん病人を家に置き去りにして逃げる人々や,家族がバタバタと倒れ最後の一人になった人がそのまま家の中で亡くなってしまうといったケースが後を絶たず,そういった意味で死体が放置されている状態がロンドンでは多発していました。まさに阿鼻叫喚ですね。

 

 

 

 当時のロンドンにあった感染症指定医療機関「避病院:ペストハウス」の状況はどうだったのでしょう。

 

 この恐ろしい期間中,ただ二箇所の避病院が利用されたに過ぎなかった。・・・ 病人をここに連れてくるのに何ら強制手段に訴えるということはなかった。・・・ 慈善にすがるほか,何らの援助も生活物資も食事も得られなかった悲惨な人々で,ここに入院し,手当を受けることを願ったものがどれほどあったか,わからないほどであったからである。・・・ 事実また入院した者で全快して出てゆく者もおびただしかったのである。また,いい医者が大勢ここには配属されていた。・・・ ところでここに送り込まれてくる連中は,日用品などを主家の命令で買出しに出かけて病気をもらって帰ってきた召使いがおもだったと聞いている。・・・ 流行期間中,ここでの手当は終始よく行き届いており,そのためロンドン避病院だけでわずか死亡者は156名,ウェストミンスター避病院で159名に過ぎなかった。

 

 当時のロンドンにしても,きちんとした医療を受けられた人々は,それなりの数が助かっていることがわかります。これら避病院の病床数は200~300ということでしたから,それが2週間程度で回転したと仮定すれば,この死亡者数は相当少ないことがわかります。

 

 ただ,デフォーも,ペスト患者の全員を避病院に収容すべきとは言っていません。病人のみを避病院に移送すれば,その移動によって感染が広がる危険性があり,また残った家族が既に感染している恐れもあり,かつ,家屋も消毒がなされなければ安全とはいえないため,避病院への全員移送のみで解決するわけではないことを指摘しています。また,こうも指摘しています。

 

 ・・・ 一時に膨大な数の病人が出た場合,それが公的な避病院の収容能力を超えることも,係の者が病人を見つけて病院に入れる能力を超えることも,これまた当然あり得たのである。

 

 無節操にペスト患者を運び込むと,病床や医療スタッフ不足が発生し,満足な医療サービスを提供できなくなる,端的に言えば医療崩壊の危険性があるため,患者全員を移送することは反対だとデフォーは述べています。

 

 これはそのとおりだと思いますね。感染者と非感染者を引き離すことは大事ですが,感染者全員を医療機関に収容することは現実的ではないため,軽症者と重傷者とに分けて重傷者のみに医療リソースを充てる現在の方針は至極妥当だと思います。では,軽症者は自宅に残ればよいのかというと,なかなか難しい問題です。今回のコロナウイルスは致死率がそう高くないため,自宅隔離もやむを得ないかと思いますが,当時のペストのように致死率が6割にもなる危険な感染症の場合は,それは死亡宣告と同じですから,さすがにまずい。今後,コロナウイルスが変異し致死率が高まった場合には,現行方針を取ることは困難でしょう。

 

 

 

 ロンドン市当局の経済政策はどのようなものだったでしょうか。

 

 ・・・ 次に,当局者が特に注意したことの一つは,市場の自由を維持するための条例が守られているかどうかを確かめることであった。そのために,市長と助役は市場のたつ日には馬に乗って条例が守られているかどうか,市場へ自由に来て,また帰っていけるように,あらゆる奨励と自由とが近郷の人々に与えられているかどうか,また,彼らを脅かしたり,来るのを嫌がらせたりするような迷惑なもの,不快なものが路上から一掃されているかどうか,こういったことを確かめにいった。

 ・・・ パン屋組合の組合長は組合幹部の者とともに,パン統制に関する市長の条例が実施され,毎週市長が指定するパン価格が守られているか否かを確かめるように命ぜられた。あらゆるパン屋はそのパン焼竈の火を瞬時もおとさないよう強制された。

 

 市当局が,マーケットが正常に動いているかを非常に大事にしていたことがわかります。前述のとおり,食料等の生活必需品の供給が途絶えると,ロンドン市内外で暴動掠奪が起こる危険性をはらんでいました。ただですら,世を儚み捨て鉢になっている失業者がごまんといる中,飢餓状態に陥れば彼らが何をしでかすかわかりません。疫病流行時の経済政策は,平常時の経済政策とはことなり,それは治安維持などとも密接に関わるものなのでしょう。

 

 ただ,ロンドンの市場と郊外の村を行き来する行商人がペストを郊外の村々に持ち帰ったことを考えると,マーケットをあけ続けるという施策は感染予防の観点からはあまり褒められたものではありません。当時の経済状況を考えると,都市部では市場が開かないとすぐに食糧不足になるため仕方ない側面はありますが,現代ではインターネット通販などもあるため,こういった技術も組み込んだ経済施策が望まれます。

 

 日本でも,輸入食材が高くなった,一部の食料品に買い占めが起こった,ということはありましたが,そこまで生活に不便をきたすような物価高騰・物不足はおこってませんでしたね。

 

 ただ,マスクや消毒液の欠品には困った人も多かったのではないかと思います。前のブログでも書きましたが,我が家では,中国人インバウンドに国内のマスクが買占められるリスクを踏まえ,春節前に今シーズン分のマスクを買いだめしましたから,なんとか欠品が続いている間もマスク不足に悩むことはありませんでした。

 

 日本ではマスク転売禁止の法律が出されてからは,実質中国のメーカーや商社の卸値で売り出すことが義務付けられたので,あの程度の値上げで済みましたが,法施行前のオークションではマスク60枚で10万円などの出品が相次ぎました。こういう危機的状況のときにその人の本当の人間性が表面化するのでしょう。

 

 

 

 ペストは,西地区から東地区に広がりを見せましたが,感染を予防することは困難を極めました。デフォーは,感染拡大を未然に防ぐことが困難である理由を,潜伏期間中の感染者からの感染拡大にある,と述べています。

 

 こういったことが,我々に警告していることは,病気が発生している町でありながら,誰彼の見境なしに交際するような人々は,まず疫病を免れる道はないということ,自分で知らなくてもかかっていることがあるということ,また同様に自分では病気だと知らなくても他人に感染させることもあるということ,などである。こういう際には,健康人をその住居に閉じ込めたり,病人を移したりしても何の役にも立たない。ただし,その病人が病気と自覚した以前までさかのぼって,かつて往来したすべての人をしらみつぶしに調べて全部閉鎖できれば,話は別だ。だが,どこまで遡るか,どこで線を引くか,これは厄介な問題であろう。

 

 PCR検査については,ウイルス量が少ない潜伏期間の患者を発見することは難しいという課題があるため,やはり医師の診察に応じて検査をするというのが妥当な気がします。

 

 デフォーが困難であるといっている追跡調査は,まさに日本が実施しているクラスター対策です。濃厚接触者の追跡調査は,これまで保健所の方の地道な聞き取り調査で行われていましたが,その作業をもっと的確に少ない労力でできるようにするため,厚労省が接触者の追跡アプリのダウンロードを推奨しています。

 

 ただ,これは別な方面で大きな問題になりかねません。感染者追跡アプリは,その人の交友関係や行動履歴などが全てデータとして蓄積され,第三者が覗くことができるという仕組みが構築されることを意味するからです。今も,スマホの位置情報等は符号化されマーケティングに利用されているので,それを国がやるだけだから問題ないのではないか,ということも言えるかもしれません。また,誰とどの程度の頻度会っているということがわかるだけでは特に重要な情報にはならないのでは,ということなのかもしれません。

 

 民間の場合は,少なくともデータ提供の可否を利用者が選択できますが,疫病対策と組み合わせ国が使うとなるとほぼ強制的にデータ提供が求められるでしょう。また,個々のデータは大した意味を持たないかもしれませんが,複数種のデータを重ね合わせることでその個人がおおよそ特定できたり,本来の開示対象以上の情報まで開示してしまいかねません。

 

 最後に,別に卑しいことをしていなければ個人情報など疫病予防のために開示したって問題ないのではないか,という人がいるかも知れませんが,仮に現在の施政者を信用し,危急の状況を踏まえこのような仕組み導入に賛成したとしても,数年後にはどのような思想の人間が政権につくかはわからない,あるいは第三者がハッキングして情報が漏れるということも念頭に考えるべきだと思います。

 

 だから,多少穴のあったクラスター対策でもいいから,個人情報を第三者が吸い上げるような仕組みは入れてほしくないというのが個人的な意見です。