続きを読みましょう。

 

 ロンドン市の惨状ばかり紹介していましたが,本書は以降しばらくロンドンから田舎に逃げ出した3人組の珍道中の記載が続きます。

 このあたりはデフォーの創作話なのでしょうか。

 

 ・・・ このほか,これまた大勢だが,野原や森の中に掘立小屋や避難小屋を作って住んだり,穴や洞窟の中などで,仙人みたいな生活をした人々も大勢いた。・・・ しまいには,どんな危ない目にあってもかまわない,という捨て鉢な気持ちになって多くの者がロンドンに帰っていったのである。

 

 田舎では,ロンドンからの避難民やロンドンへ行商にいった村人から感染が広がりました。だから,田舎の人間はロンドンから来た避難民に対し村に近づかないよう,通りをバリケードで封鎖し,立ち退くよう迫りました。農家から食べ物を買う事もできず,餓死する人間が続出しました。

 

 結局,避難先での生活に困窮し,多くはペストの蔓延するロンドンに戻らざるを得ませんでした。

 

 

 

 上記のように,ロンドンの避難民,破れかぶれになった貧乏人はペストを他者に積極的にうつしているのではないかという非難を浴びせられていました。

 この点について,当時の医者の見解を聞いてみましょう。

 

 ・・・ 病気にかかった人間には自分の仲間に対する一種の狂乱と憎悪の念が例外なしに生じてくる。病気そのもののうちに他の者にうつしてやろうという悪性なものがあるばかりでなく,その患者の性格の中にもそういう悪性なものが現れてきて,ちょうど狂犬病の場合と同じく,他人を悪意をもって,いや悪い目つきをもって見るようになるというのである。

 ・・・ 人間そのものが腐敗しているからだ,という説明をする医者もいた。つまり,同じ人間の仲間でいながら,自分だけが他の者より悲惨な状態にあるという事実を見るに耐えられず,したがって,あらゆる人間が自分と同じくらい不幸な目にあうか,哀れな境遇に陥ってほしいという,自分でどうしようもない一種の欲望を持つに至る,というのである。

 ・・・ いや,ようするに一種の自暴自棄に過ぎない,という者もいた。何をやっているのか,自分でもわかっていないし,気にもとめていない,したがって,自分が接触する他人ばかりか自分自身の危険も安全も全然問題にしていないというのである。

 

 一番上以外は,医者じゃなくてもいえる内容ですね。

 

 病気によって人の性格が変わる,もっというとウイルスや病原菌が人間の行動を支配する,ということは実際にあります。狂犬病もその一つですが,もう一つの実例としてトキソプラズマが挙げられるでしょう。

 

 トキソプラズマは様々な動物に感染する寄生生物ですが,その終宿主(寄生生物が有性生殖を行なう際の繁殖場所)はネコであり,人間もペットのネコから感染するケースが多いです。ネコも捕食したネズミから感染します。トキソプラズマはネコに寄生しない限り繁殖(有性生殖)できないことから,ネズミを食べてくれなきゃ困ります。そこで,トキソプラズマは,ネズミの脳に作用し,猫に対する恐怖心を消去し,逆にネコの匂いに惹きつけられるように性質を改変してしまいます。

 

 これと同じことを,人間の体内で起こしていることが近年の研究でわかってきました。例えば,トキソプラズマに感染しているグループの方が自動車事故を起こしやすい,とか,統合失調症にかかりやすい,とか,起業する人の割合が多いといった傾向が見られるようです。総じて,トキソプラズマに感染している人の方がリスクに対する感応度が低下し,リスク選好的になる傾向が見られるようです。

 

 

 

 このような医師の指摘に対し,デフォーは否定的な見解を述べています。

 

 ・・・ つまり,世間で悪評を被っている自分たちの薄情で残酷な行為をなんとかいいつくろうために,近辺の町村の連中がロンドン市民に対してやたらに投げかけた不平に過ぎないと私は言いたいのである。そしてまた,この不平の背後には,不平を言う側も,言われる側もともにお互いを傷つけあっていたという事実が潜んでいたといえよう。つまり,市民のほうは非常の事態だというので是が非でも受け入れて宿舎を提供してもらいたいとあせっている。しかるに,そんな疫病を持っている人間はまっぴらだというわけで町や村に入るのを拒絶され,家財道具をかかえて家族もろともまたもやロンドンに追い返される。そこで,田舎のやつはなんと残酷で無慈悲なやつだということになった。ところで他方では,しばしばペテンにかけられるような目にあわされていて,ロンドンの市民は有無を言わせず押し入ってくるという感じを抱いている。当然そこには不平も出てくる。ロンドンのやつらは他人の迷惑をかえりみないばかりか,むしろ病気をうつしたがっている,といったことに結局なるわけであった。

 

 生死がかかっている中で『郊外に脱出したいロンドン市民』と『入ってきてほしくない郊外の村民』という構図もまたコロナウイルス流行下の現代で再現されたように思われます。典型例は,東京から軽井沢に避難した人々に対する非難,でしょう。

 

 コロナ流行前の世界では,都市部の人間が観光によりお金を落とすことで郊外でも経済が回っている,という側面があったでしょう。コロナウイルスの感染が拡大した瞬間に,都市部の人間が郊外から締め出しをくった,ということになると,これに対する反発も都市部住民の間には相当生じるのではないでしょうか。

 

 今回,このような対立があまり露見しなかったのは,第一に全国一斉(あるいは地域一括での)外出自粛制限がなされたから,ということがあるように思われます。都会も田舎もみな一様に自宅に軟禁状態になったから,感情面でも差異を生み出さなかった,と思われます。本来,コロナウイルスが感染していない郊外エリアでは,感染者を多数出している都市部で厳格なロックダウンがなされれば外出を自粛する必要はなかったから,郊外民にとっては非合理といえば非合理です。ただ,前述の心理的な面での分断を生み出さなかったという面では成功と言えるかもしれません。

 

 第二に,都市部住民の疎開受入れに対する郊外住人の反発(それに対する都市部住民の受ける反感)は,ある意味で,都鄙の差別意識,経済の支配-被支配関係に根ざしたものになりかねないため,表立って報道されるようなことはなかったように思います。本書でも,郊外の村々に追い返されたロンドン市民が,『お前らの農産物を買い上げているのはロンドン市民であり,そのロンドン市民にこのような仕打ちをしたことをロンドンに帰ったら流布し末代まで伝える』と呪詛の言葉を吐いて立ち去る様子が描かれています。

 

 東日本大震災においても,原発事故からの避難民に対して同じような問題が起きていましたね。これは頁を改めて取り上げるべきかもしれません。、

 

 ただ,実際にロンドンのペスト感染者の中には,僅かながら意図的に感染を広げた人間もいたようです。こんな話が伝わっています。

 

 裕福なある市民の奥さんで立派な貴婦人が,気の毒にもこういう連中の一人の手にかかって殺された,という真意のほどは確かではないが,ある話があった。・・・ 道でこの不幸な貴婦人に会うと,彼は急に彼女に接吻したくなった。乱暴な男の出現に震え上がった彼女はすぐさま逃げ出したが,道には人影もなく,誰も助けてくれなかった。・・・ 男はすぐに起き上がって彼女を抱きすくめて接吻した。しかもいっそうひどいことには,接吻したあとで,俺は病気なんだ,お前さんだって病気にかかるがいいや,と彼女にいった。

 

 結局,この貴婦人はあまりの衝撃で気絶し,3日後にはなくなったそうです。日本でも,自分が病気であることを知りながら,スナック・キャバクラに来店して追い出された不届き者がいましたが,当時のロンドンにいても全然不思議ではありません。

 

 家屋閉鎖令について,デフォーはその残酷さを糾弾していましたが,あわせて感染防止にも役立っていないということを指摘しています。

 

 全体的にいって家屋閉鎖ということが悪疫の伝染を食い止めるのに相当な効果があったかどうか,これは今日でも疑問視されている。効果があったとは私は言い切れないと思っている。悪疫が猛烈な勢いで広がっていった時のその凄まじさに匹敵するものは他にはなかった。・・・ 私はここでは簡単にふれておきたい。つまり,感染は知らずしらずの間に,それも,見たところ病気に罹っている気配もない人たちを通じて蔓延していったということである。しかも,その人達は,自分が誰から病気をうつされ,また誰にうつしたかも全く知らないのであった。

 

 流行初期の家屋閉鎖が発令される前には,患者が市中を行き来しており,大変危険な状況でした。患者の中には,破れかぶれになり他人に病気をうつそうとした者,譫妄状態となり町を徘徊した者,物乞いとして家々を回る者もおり,このような連中を自宅に閉じ込めることに家屋閉鎖令が一定の成果を上げたことはデフォーも認めています。

 

 それでも,家の中に患者を閉じ込めるのは非常に残酷な措置だとデフォーは考えていました。ペストは,症状が進行すると,死んだペスト菌が鼠径部や腋下のリンパ節にたまり化膿し,血管に毒素が回ると全身に猛烈な痛みを生じ,やがて意識混濁状態に陥ります。こうなると,患者はおとなしくベットになんか寝てくれず,ある者は投身自殺を図ったり,拳銃自殺を図ったりするといった状態が監禁された家の内部で起こっていました。だから患者をベットに縛り付けますが,そうすると一日中患者の怒声・喚き声が家の外まで聞こえることとなり,全くの他人であっても同情を禁じえないものだったようです。

 

 そもそも,家屋閉鎖の措置をもってしても,ペスト拡大後は患者宅を隔離し続けることは困難でした。

 

 これは幾人かの医者も市長に申告したということだが,伝染が猖獗をきわめて燎原の火のごとく広がっており,多数の人々があっというまに発病してたちまち死んでゆく,というような非常な時期には,誰が病気で誰が健康であるかを必死になって調査したり,いちいち杓子定規に家を閉めたりしようとしても,第一それが不可能であるばかりでなく無意味でもあることは争えないことだった。一つの通り全体のうちで,殆どどの家も感染していたり,ところによっては家族の全員が冒されている,ということも多かったのである。もっとまずいことは,これこれの家が病気にかかったということがわかったときには,もうその家の病人は死亡しており,他の家族のものは隔離を恐れて逃亡してしまっているということであった。

 

 私は,世の大部分の人と異なり,流行初期のクラスター対策で濃厚接触者にPCR検査を実施することには意味があるが,パンデミック状態になったら,そもそも検査に意味がないと考えています。デフォーと似た意見ですが,仮に市中に感染が広がっているならば,PCR検査時に感染していないことが判明しても,それは検査後も陰性であることを何ら保証してはくれないから,自宅隔離状態を解除することはできないのではないかと思います。

 

 無症状感染者等の状態を把握するのが目的,というのなら,それは例えば献血で集めたサンプルを抗体検査すればわかる話なので,あくまで診断に際し,PCR検査が必要と医師が判断した分だけ実施できればそれでいいのではないでしょうか。どうも,PCR検査希望者には全員受けさせるようにすべき,というような,一体何を目的にしているのか疑問符がつくような意見もあり,何かヒステリックなものを感じます。

 

 以上は私見ですが,どのような対応が正しかったかは流行収束後に振り返らないとわからないし,どの程度医療リソースがあるのか,経済ショックへの耐性はどうか,個人情報へのアクセス等国の関与をどこまで認めるか,といったことにより正答は国・地域ごとに異なりうるものだと思います。だから,「他国ではこうしているのに」といった言説は物事をある一面でのみ評価しているに過ぎないものとして冷静に考える必要があると思います。