続きを読んでいきましょう。

 デフォーは,当時のロンドン市のペスト対策をどう考えていたのでしょうか,早速抜粋してみましょう

 

  この伝染病は,だいたい奉公人たちを通じて市民の各家庭に侵入してきた。奉公人たちは,生活必需品,つまり食料や薬品を買うために,命ぜられるままにパン屋・醸造所・販売店その他に行こうとして往来を絶えず駆けずり回らなければならなかった。・・・ ロンドンのような大都市がわずか1つしか避病院(ペストハウス)をもっていなかったということは,なんとしても一大失策だと言わなければならなかった。 ・・・ たとえば,同じ一つの病床に患者を二人寝かせるとか,同じ病室に病床を2つ置くなどということをしないで,しかもゆうに1000人の患者を収容できるといった避病院が数個できていれば,と私は思う。

 

 デフォーは,人混みで感染が広がること,医療使節の拡充が大事ということを指摘しています。今回のコロナでも,3密を避けるというのはずっと言われていることですし,やはり感染症用の医療体制は平時から拡充を検討しておく必要があるでしょう。

 

 デフォーは,ロックダウンには反対の立場です。強制的に閉じ込めると自暴自棄になった患者が家を飛び出し感染を広げるという状況があったようです。そうではなく,患者が望みさせすれば避病院に入院できそこで看護が受けられるようにすべきだ,ということを述べています。自宅隔離は家庭内感染を招くのみだ,ということで,この当時のペストの死亡率の高さで家庭内隔離をすれば家族全滅の憂き目に会うのは火を見るより明らかです。今回のコロナは致死率がさほど高くないため自宅隔離が有効という事かもしれませんが,もう少し高い致死率の感染症であれば,自宅隔離はかなり危険(というか当時のロンドンと同じように家族は別宅に逃げ出すことになる)と思われます。これも重要な教訓でしょう。

 

 

 

 ペスト感染を防ぐため,当時のロンドン市民も色々と工夫をしています。

 

 ・・・すべての窓を閉め,鎧戸やカーテンを下ろして開けないように,しかしそれよりも大切なことは,まず窓や扉を開け閉めする部屋の中で,樹脂・松脂・硫黄・硝煙などをたいて部屋いっぱいに煙を立てることだ,と教えてくれた。・・・ 

 人々がおよそ考えうるかぎりの予防手段を講じたことはいうまでもない。たとえば,市場で一切れの肉を買う時でも,肉屋の手から受け取らないで,鈎から受け取るというふうであった。肉屋の方もその点抜かりはなく,そのために特別に用意しておいた酢入りの壺に代金を入れてもらい,決してそれに手を触れるということはなかった。・・・

 

 コロナウイルス感染予防として,お店のお会計をトレー上で受け渡しをするといったことを見受けますが,当時の人達のほうが徹底していますね。

 

 

 

 市場ではどんな風景が見られたのでしょう。

 

 肉屋たちは,市場の中で行き倒れでもあると,早速その死骸を手押車に乗せて最寄りの墓地に持っていってもらうために,わざわざその係の役人を手近に頼んでいた。それでも行き倒れはあとを絶たなかった。・・・

 市場は以前と比較できないほど,入荷も減り,また買い手も寄り付かなくなってしまった。そこで市長は,市場に食料品を売り込みに来る近郷の者は,ロンドン市内に通ずる街道脇で荷を降ろし,そこで店を開いて持ってきた品物を売り払い,それが済んだらさっさと退去するようにという命令を発した。

 

 当時のロンドンでは凄まじい数の行き倒れが発生していたようで,路上に遺体が5,6体転がっているのを見ない日はなかったと述べている。どうも,ペストの中には自覚症状がないものがあるらしく,少し前まで普通に路上を歩いていた人がへたり込んだかと思うと,もう息を引き取っているという有様だったようです。武漢でコロナウイルスが猛威を奮っていた際に,路上でばたりと倒れそのまま亡くなったと思われる中国人の動画が出回っていましたが,まさにああいう感じだったのでしょう。あれを目の前で見たら,さすがにぞっとしますね。

 

 感染爆発が起こると,商業に大きな影響が出るのも,やはりコロナウイルス流行下の現代と同じです。いまでは,インターネット通販があるため,昔ほど店舗に出向く必要はなくなりました。ますます,対人接触はなくなっていくでしょうね,今回のコロナで。

 

 

 

 ビジネスの窮状はこのように書かれています。

 

 製造業を営んでいた職人の親方がまず参った。特に装飾品とかその他市民の衣服,服地,家具類などで不急不要な部分の製造に従っていた者が参った。・・・ こういった各種の製造業の親方たちは,みなその仕事をやめ,その職人や雇人や,その他全ての小僧の類をお払い箱にしてしまった。

 テムズ川をさかのぼって入ってくる船がほとんどなく,また出港する船もなかったので貿易は完全に止まった。したがって,税関に務める大勢の税関吏はもちろん,水夫,夫,荷物運搬人,および貿易業者に使われていた貧乏な労働者は,すぐさま解雇され,仕事にあぶれた。

 家屋の新築や修理に従事していた稼ぎ人は仕事がなくなった。おびただしい家屋が一朝にして家人を奪われ,廃屋になるのを見ては,家を建てようなどという人はいなかったからである。・・・

 市内に残留した家庭も,田舎に疎開した家庭も,いずれもできるだけその生活費を切り詰めた。その結果,数え切れないほど多数の従僕,下男,店員,職人,帳簿係といった連中,特に女中などがみなクビになった。彼らは仕事もなければ住むところもなく,孤立無援の状態に陥ったのである。それはまことに悲惨というべきであった。

 

 今回のコロナウイルスの流行においても,様々な業種が危機的状況に陥っていますね。これまでの経済不況と異なるのは,その業界の需要そのものが失われるような類の危機であることにあると思います。特に深刻なのは旅行業界でしょう。出張などの必要に迫られてする移動ですら憚られる状況で,自身の趣味で越境することはかなり難しい。当面の間,国の支援を充てたとしても,そもそもの需要が払底してしまっているので商売が成り立たないのではないかと危惧されます。そういう意味で,経済危機というよりも構造変化といったほうが正しいのではとも思います。

 

 前のパートでも,一番厳しい状況に追い込まれたのはメイドさんたちと紹介しましたが,彼女たちは失業と同時に住む家も失うという二重の危機に直面していたからでした。メイドさんや執事は主人の家に住み込みで,身の回りのお世話をしますから,首になったら主人の家には住めないわけです。そんな彼女たちは露頭に迷い,当時危険な職業として有名であった付添看護婦になったのでした。

 

 職を失った貧民は,ロンドンから逃げ出し始め,イギリスの津々浦々にペストを広げてしまいます。彼らはペストによって死んだというよりも,飢餓と窮迫と欠乏によって死んでいったのです。

 

 日本でも,ブラジル政府のコロナウイルス対策は批判的に報道されていますが,ブラジルにはファベーラというスラム街があり,そこの住民は仕事ができないとあっという間に飢餓に直面します。コロナ感染防止のためロックダウンするとここに住む人々は収入が途絶え食えなくなり,彼らを生かすためにロックダウンをしなければやはりコロナが蔓延して密集して住む貧民街が一番打撃を受ける,そんな構図になっています。ボルソナロ大統領の方針が正しいとは思いませんが,日本ではすっかり忘れられた飢餓の問題がブラジルの政策の幅を狭めているのは間違いないでしょう。

 

 当時のロンドンは,これら貧困層への対策として,救恤金を配りました。これも,いま世界各国で実施されている給付金支給と同じです。ロンドンから逃げ出した貧民は逃避行の途上で大多数が亡くなりましたが,ロンドンに残留した貧民はこれら資金援助を受けてなんとか生き延びました。