本日は,死者の埋葬風景からお話を始めましょう。

 デフォーの住むオールドゲート教区に掘られた大きな墓穴の話が紹介されています。

 

 正確なことはわからないが,見たところ縦幅約40フィート,横幅15ないし16フィートはあっただろうか。私が最初に見た時は,深さ9フィートであったが,その後ずんずん掘り下げていって,あるところでは20フィート近くも深く掘ったが,結局,地下水が湧いてきて,それ以上深く掘ることはできなかったようである。・・・

 穴の出来上がったのがたしか9月の4日だったと思うが,1日おいて6日にはもうどんどんこの中に死体を埋め始め,ちょうど2週間後の20日までには,死体1114個を埋めたのであった。もうそれ以上死体を入れると,地面から6フィートという規定に反することになった。

 

 1フィートが約30cmなので,縦12m/横5m弱/深さ6mの大きさですね。そこに,たった2週間の間に1,114体もの死体が埋葬された! ちょっと信じられない数です。もう墓穴はすし詰め状態だったでしょう。当然,棺桶になど入れられず直埋めされたのでしょう。

 

 地面から6フィート,とは,前回ご紹介した布告で埋葬する際には,遺体に6フィート以上の土をかけることが義務付けられていたことを指します。6フィートだと1.8メートルだから相当深く埋めねばならないことになります。

 

 似たような葬送風景は,今回のコロナウイルスでもニュースで取り上げられましたが,流石に棺に入れられていましたね。

 

100万人が埋葬されるNYの島,新型コロナでも

 

 

 

 

 凄まじいのは次の記述です。

 

 このような穴に衆人が近づくのを禁じる厳重な法令が出ていたが,それはもっぱら病気の感染を防ぐのを主眼としていた。しかし,時日が経つにつれて,この法令はいっそう必要なものになってきた。なぜなら,病気に冒された人間で,死期が近づき,そのうえ精神錯乱をきたした者たちが,毛布とか膝掛けとかをまとったまま穴のところに駆けつけ,いきなり身を投じて,いわば,われとわが身を葬るからであった。

 

 絶望から,このような行為に出るのでしょうか。現代においても,自殺原因はダントツで「健康問題」ですから,この当時治る見込みのないペスト症状が体に現れ,家族に取り残され自宅に一人ぼっちとなれば,そりゃ既に死んでいるとはいえ「ヒト」の近くにいて看取ってもらいたいと思うのかもしれません。

 

 あるいはこういう事かもしれません。自分が家にいれば,健康な家族にもペストを感染させるかもしれない,または,誰も居ないところで死ねば死体の処理に家族や隣人の手を汚させてしまうのは忍びない,だからなるべく迷惑をかけないように死のう。

 

 これと似たような事例は,日本の平安時代にも見受けられました。この時代,家の中で人死が発生すると,その家は死穢に汚染されたとして忌籠りしなければならず,その間朝廷にも参内できないなど大きな影響がありましたから,下女などが病気にかかると家から追い出されるなんてことも起こっていました。自分の死期を悟ると,前述した死穢の回避や葬送費用の負担を遺族にかけないために,自分で葬送の地に歩いていく人がいました。

 

 このような風習は存外最近まで続いていたのではないかと思っています。柳田国男著『遠野物語』にも,老人たちが一定の年齢に達すると,自宅を出てお墓のそばに住む,といった習俗が描かれています。楢山節考が題材にした姥捨山も似たようなものでしょう。死期の近い人間は,自ら墓場に赴く(あるいは家族が墓場に連れていく)というのは,歴史に書かれていないけども,普遍的に見られるものなのかもしれません。

 

 

 

 デフォーは,夜,墓場に人が葬られる様子をどうしても見たくなり,共同墓地に潜り込みます。そこでの出来事は陰惨極まるものでした。

 

 もう一人の男が墓穴近くに佇んでいました。彼は自分の妻と子が亡くなり死体運搬車に乗せられたことから,その最後をどうしても見たいと共同墓地に潜り込みました。彼は,自分の妻と子が丁重に葬られるものとばかり思っていたようですが,他の遺体と一緒くたに墓穴に放り込まれるだけという状況を見て気絶してしまいます。

 

 

 

 気絶した紳士は,近くの料亭に運ばれて介抱を受けました。この料亭は,ちょうど教会の門の前にあり,そこから死体運搬車が出入りするのが見えました。この店には,放蕩無頼の輩が毎晩酒盛りをしては,葬列を眺めて罵声を浴びせていたと書かれています。

 

 ・・・ (気絶して墓場から運び込まれた紳士に対し)彼らはその紳士を散々こき下ろし,妻子を失って悲しんでいるというのをひどく嘲笑した。墓穴に飛び込んで天国に妻子と一緒に行けばいいのに,それができんとは君も相当な臆病者だね,とからかった。・・・

 

 これを見て,デフォーが紳士をかばうと,今度はターゲットをデフォーに変えて口汚く罵り始めます。

 

 お前なんかよりももっと正直な人間が幾人も墓地の厄介になっているというのに,いったい何を今頃お前はほっつき歩いているんだ,とっとと墓地の厄介になるんだな,とか,お前みたいな人間は死体運搬車が来ませんようにと,家の中にすっこんで神様にお祈りでもしてたらいいんだ,とかいろいろなことを言った。・・・

 

 特にデフォーが憤ったのは次のことです。

 

 しかし彼らのけしからん言葉の中でも特にひどかったのは,神を汚し神の存在を無視するような言葉を平気で吐いたことであった。疫病を神のみ手の業であるという私の言葉をせせら笑い,あたかも今次の一大災厄に対して神の摂理が少しも関係を持たないかのごとく,「審判」という言葉をさえ馬鹿にするのだった。死体を運んでゆく車を見て,道を行く市民が神のみ名を唱えることほど,狂信的で笑止千万なことはない,というのであった。

 

 デフォーは,占い師や呪符の類を信じる一般庶民を無知蒙昧として侮蔑している一方,ペストは神の御業であるというキリスト教的な立場を押し出しています。ただ,これまでの死亡週報をもとに感染が隣接する地域に徐々に広がっていく様子を克明に記述し,この病が臭気や呼気などの空気感染により広がるのではないかとする,非常に科学的な考え方も持ち合わせています。

 

 前言とは矛盾するような発言もしています。

 

 既に悪疫の流行も終息している現在においてもなお,今次の悪疫があたかも神よりの直接の懲らしめであり,その間何らの中間的媒介なく,あの人間この人間といった具合に特定の人を倒す特別な使命を神から授かっていたかのように話す人がいるのを不思議に思わざるを得ない。

 

 ちょうど18世紀前半は,科学的思考とキリスト教とが一人の人間内に同居する境界の時期であったのだろうと思います。デフォーが同時代を代表する思考の持ち主かはわかりませんが,すくなくともデフォーはそのような(私から見ると)非常に屈折した思考形態を持っているように思います。同時代人の日記などをもとに,このあたりの研究をしてみるのも面白いかもしれません。