さて,続きを読みましょう。

 ロンドンでペスト禍が広がる初期段階では,様々な噂が飛び交いました。

 

 まず第一にあげたいのは,疫病の流行する前に,光り輝く一彗星が数ヶ月の長きにわたって現れたということである。これは,その翌々年,ちょうどあの大火のあるちょっと前にやはり同じような彗星が現れたのとじつによく似ていた。 

 

 デフォーも,この彗星を実際に見たようです。そして,次のように述べています。

 

 ・・・ したがって彗星を見た時,これはまさしく神の下し給う審判の前兆であり,警告である,とつい思ってしまったものであった。とくに,最初の彗星が現れた直後に悪疫が発生し,その後でまた同じような事態が繰り返されるのを見た時,いっそうそういう感じに捉われざるを得なかったのだ。 ・・・ しかし,私はその反面,他の人々と同じように,この事態に途方もない解釈を加えることはできなかった。これらは自然現象として,その原因が天文学者によって当然説明されるはずだ,彗星の運動や運行も計算されている・・・

 

 16世紀末のイタリアには望遠鏡の原型がすでにあり,それをもとに2枚のレンズを組み合わせた望遠鏡が1608年にオランダで特許申請されています。また,天文学の理論面では1609年にケプラーが「新天文学」を発表し,惑星の運動法則を数式で表したケプラーの第1法則・第2法則を提示しています。

 

 また,ペスト流行のためロンドンから田舎に疎開した人の中にアイザック・ニュートンがいました。ペストでケンブリッジ大学の閉鎖が決まると彼は故郷のウールズソープに移り,そこで微積分学・光学の基礎を築き,万有引力を発見します。これらの研究業績は2年間の疎開中に達成されたもので,この期間を「驚異の諸年」・「創造的休暇」と言われたりします。

 

 デフォーはいっぱしの商人のような語り口で,当時のロンドンの状況を語っていますが,1665年当時デフォーは5歳の少年でしたから,彼の著書『ペスト』はロンドンのペスト流行から数十年後に当時を知る人のインタビューや教会等に残された記録をもとに執筆されたものです(発刊は1722年)。

 

 だから,彗星を見た際の感想としてデフォーが語っているのは18世紀初頭のイギリス人のものの捉え方になろうかと思います。この当時にはケプラーの天体運動の法則発見から100年,万有引力の発見から50年が経っており,理性の光で自然を捉える啓蒙思想の浸透が見て取れます。

 一方で,まだ古代から続く自然に対する素朴な感性も色濃く残っており,それが彗星の顕現と災異の発生を結びつける思考様式に見て取れます。

 

 別枠で取り上げている「続日本紀」にも天体活動の記録が,その他の政治的イシューと合わせて頻繁に記載されています。

 最初,なぜ一緒くたに記録されたのかわからなかったのですが,おそらく天体運行の異常 → 政治の乱れ・災厄の発生(または瑞祥)というような古代の感性に基づくロジックがあって書かれていることなのだと思われます。これもいずれ調べてみたいテーマですね。

 

 

 

 さて,本書の紹介に戻りましょう。

 

 当時のロンドンでは占星術書や似非信仰書が爆発的ヒットとなり,そのいずれもがロンドンの壊滅を予言し人々に避難を呼びかける内容となっていたため,ロンドン市民の恐怖はさらに大きくなっていきました。素っ裸で破滅の予言を叫びまくる狂人,破滅を予言する夢占いの老婆も現れました。さらには,なにかに憑かれた人が,白衣を着た天使が燃え盛る剣をロンドンに向かって振りかぶる姿を天の一角に見たといい,無数の幽霊の群れが人々を手招きしている姿を墓地上に見たといい,それを聞いている周囲の人も「見えるぞ」「見えるぞ」と次第に集団催眠の様を呈すようになった,という記載があります。

 

 デフォーは,そのような集団の中にあっても,空に天使は見えなかったし墓地に幽霊はいなかったと述べています。つまり,全ては人々の恐怖心が作り出した迷信である,として旧来の俗信に染まった民衆に対する憐憫の情を記載しています。

 

 しかし,このような啓蒙思想家的なものの見方が人々を救い得たのか。危機的状況に陥ると人智を超えたものに縋りたがるのは今日でも変わらない人間の基本的な習性な気がします。東日本大震災後にも,スピリチュアルな体験を語る本が多数刊行されています。

 このような感性は,科学技術万能な現代では語るに値しないとして退けられますが,この「人智を超えたもの」に救われる人々もいるのは確かでしょう。科学技術では救えない心の傷は,このような疫病蔓延時に表面化するものであり,それを癒やす手段として「現実的」なのだと思います。

 幽霊を信じるべきだということではなく,それを信じる心性というものにもそれなりの役割があるということを認める必要があるのではないかと感じた次第。

 

 政府も,本腰を入れて妄言流布の取り締まりは行わなかったようです。