ペストは,1663年と1664年にオランダで流行していたようです。
当時,オランダでのペスト感染という情報がロンドンにどのように伝わったのでしょう。
(以下,緑字は本書抜粋)
当時,まだ新聞などという,いろいろな事件についての風説や報道を伝える印刷物は
なかった。・・・ したがって,今日のように,一瞬の間に全国民に広がるということはまず
なかった。しかし,わが政府当局は真相について正しい情報を持っていたらしく,国内侵
入を防ぐ手段を講じようと会議を開いていたようであった。しかし一切は秘密にされていた。
イギリス初の週刊新聞は,1622年に創刊された「ウィークリー・ニューズ」。
ただし,国王権力やクロムウェル独裁の影響で17世紀なかばまでは言論活動が抑圧
され,新聞は普及しませんでした。
新聞が普及したのは名誉革命後の17世紀末からでした。
18世紀に入ると,イギリスには新聞片手に政治談義を行なうブルジョワジーの溜り場,
コーヒーハウスがあちこちに登場します。
コーヒーハウスの歴史的な意義,イギリス民主主義との関係性なども考えてみたいで
すね。
ウィルス対策会議の議事録を残さない,というのはどこかで聞いた話でもあります。
各国間の衛生当局が情報を交換する,というようなことも当時には存在しないでしょう。
政府が商人や船乗りのネットワークを通じて仕入れた情報をもとに防疫対策を練って
いて,その情報が口伝てに政府に近い立場の人から同心円状に伝わった,というのが
当時の状況ではないでしょうか。
ロンドンでの最初の犠牲者は,1664年11月下旬,ロング・エイカーに住んでいた2人
のフランス人でした。
この家の住人は2人の死を隠そうとしたものの,当局者は医者を派遣し検死を実施,
2人が疫病死であることを公表しました。
12月最終週に,この家からまた一人疫病死が出てロンドンは大騒ぎとなったようです。
そこから6週間は何もなかったが,2月12日には同じ界隈の別の家から疫病での死者
が発生し,そのエリア(セント・ジャイルズ教区)が注目されることになりました。