【5月16日】
太宰府から,財政窮乏を訴える陳情が上がってきました。
訴状では,長官赴任時に前任者から引き継いだ財産(稲)は100万束だったそうです。
これがあとから来た官人たちが使って10分の1まで減ってしまったとのこと。
勝手に使ったんだから弁償させろよとも思うのですが,大宰府は朝鮮有事に備えた
要衝であり多数の兵士を駐屯させていましたが,何分地方出身であり,彼らの食費を
丸抱えするため兵糧が持たない事象が発生していたようです。
そこで,長官は残りの稲をすべて庶民に貸し出し,秋に利息を上乗せして税を徴収
することで財源に充てたいと主張しています。
このようなお上の行動が「年貢」の起源なのでしょう。
【6月11日】
陸奥国より,蝦夷の男女1690人あまりが服属の意を示していることから,種籾を与
え水田耕作できるようにし,辺境防備に当てたいとの報告がありました。
ローマ帝国でもそうですが,辺境防備はそこに住む人々を採用するため,同族の
人々同士で相争うことになったのでしょう,日本も。