レコード喫茶の扉を開けると、俺に気付いた潤が嫌そうな顔をした。
 
「態度悪いな。ちゃんと接客しろよ」
「…………いらっしゃいませ」
「マスター!この店員ふてくされてる!態度悪いんだけど!」
「バイトのたび来んな。暇人」
「マスター!口悪いよクレーム入れていい?」
「潤、一応お客様だろ」
「マスター!!」
 
マスターが笑いながら「いつものでいいの?」と聞いてくる。この店はジャズのレコードとマスターの淹れるコーヒーが名物の店だった。
今日はカウンター席だったので、マスターが話しかけてくれる。潤は他のテーブルに行ってしまった。
 
「でも本当に最近よく来るね」
「マスターに会いにね。コーヒーうまいし」
「優しいな、翔くん」
「いやいや本心だから」
「潤が心配なんだろ?」
「…………なんか言ってた?」
「アイツは過保護だって」
「……」
「優しいな、翔くん」
 
客と談笑している潤を眺めていたら、視線に気付いたのかこっちを向いた。笑顔がすぐにしかめっ面に変わったので、逆に最大級の笑顔で応えてやった。
潤が『ばーか』と言ったのが口パクでもわかった。
 
 
 
 
 
この店は彼の住んでいたアパートの近くにあって、俺の家からは電車で6駅分離れている。
例の元彼と遭遇する可能性があったけれども、彼はこの店を気に入っていてバイトを続けたがっていた。そういう事情を知っていたので、俺はバイト帰りの彼を迎えに行くことにした。
彼はすぐに俺の目的に気付いてもう大丈夫だからやめろと言ってきたけど、俺は無視して通い続けている。
今日はバンドの練習帰りに寄ったから彼が上がるまで1時間程だ。リリックの校正をしようとノートを取り出す。
 
そのまま没頭して作業して一息つこうとコーヒーのお代わりを頼んだら、好きな曲のイントロが流れてきた。見ると蓄音機のところには彼がいた。
憎たらしい口ばかりきくくせに、彼はいつも絶妙なタイミングで俺の好きな曲をかけてくれる。
 
彼は気遣い屋で優しい人間だった。
そういう部分を隠したがっているところも丸ごと含めて、彼のことが好きだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……あのさ、もう本当に来ないでほしいんだけど」
 
帰り道ずっと反応が鈍かった潤が低いトーンで呟いた。
怒っている、というより、困惑の声色だった。
 
「俺の趣味取らないでほしいんだけど」
「もう大丈夫だって。なんもないし」
「あそこで書くとはかどるし」
「さすがに申し訳なくなる」
「俺もレコード集めようかなー」
「……お前重いわ」
「重いって……」
 
コイツはたまにとんでもないボールを投げてくる。
いちいちショックを受けてたら身が持たないけど、この台詞は結構堪えた。
そんな俺を見て、「さては重いって言われて振られたことあるな?」とニヤニヤして顔を覗き込んできたから頬をつねってやった。
すぐに離したけど指先に柔らかな感触が残って、頭をはたけば良かったなと思う。
 
「……つーか翔って世話焼きだよな。長男気質?」
「あー、よく言われるなそれ。下は赤ちゃんの時から面倒見てたし」
「俺は弟ってことか」
「兄には勝てないくせに勝てると思い込んでる身の程知らずの弟だな」
「はあ?どこが勝てないんだよ!逆だろ!」
「はいはい。なんでもいいけど世話焼かれてればいいだろ。俺が好きでやってんだから」
「……でも」
「俺は金持ちだからバイトしなくていいしお前よりも暇なんだからいいの。あそこが通いたくなるくらい好きなのもホントだし」
「……」
「はい俺の勝ちー」
「……ばーか」
 
それっきりまた彼は黙ってしまった。
気にしなくていいのになと思うけど、気にしてしまうのが彼の短所であり良いところでもあると思う。
でも、俺のことを本当に重いと思ってるんだとしたら、少し距離を置いた方がいいかもしれない。
俺の過保護に耐えかねて家を出て行かれたら困る。
ちょっと考えないとな、と考えていると、「実は家のことなんだけど」と言われてドキッとした。
 
「な、なんだよ?」
「……このまま居候してんのは良くないと思ってる。家を探した方がいいのもわかってる」
「俺は家賃収入あって家事もしてもらって万々歳なんだけど」
「いいから聞けよ。お前に甘えてるっていう自覚はあるよ。ただ、就職先決まるまでは居させてほしいってのが本音で」
「そりゃそうだ」
「だからそれまで置いてほしい。悪いな」
「全然」
 
 
 
 
 
彼が出て行くまであと半年くらいか。
そして半年後には、俺も社会人になる。いよいよ父親の会社に入り、跡を継ぐための長い道のりがスタートする。
何年も前から覚悟を決めていたことだ。だからこそ後悔のないようにやりたいこと、好きなことに全力投球してきた。
そのおかげで俺は音楽という人生を鮮やかに彩ってくれるものに出会い、たくさんの仲間を得た。
彼とここまで関係を築けたのだって音楽があったからだ。
 
「就活、うまくいってんの?」
「んー、どうだろ。厳しいかも」
「そっかー」
 
彼は音楽の世界で生きていきたい人間だ。
努力と下積みだけじゃどうにもならない世界。才能と運とコネが必要になってくる世界で生きていこうとしている。
俺が生きていく世界とは真逆のところだ。
 
 
 
 
 
互いの進路があまりにも違うから、なんとなく将来の話は避けていた。
 
俺は彼の生き方に羨望を抱いてしまいそうな自分が怖かった。
 
 
 
 
 
俺たちはこれからも友達でいられるんだろうか。
 
 
 
 
 
ふと浮かんだ思いを打ち消すように家路を急いだ。