女性の方が世の中の安定や自身のメンタルの安定を求めるのは、
身体の構造上も大きいのでしょう。
表参道のギャラリーで開催されている
アンゼルム・キーファーの
作品を見ながら感じました。
作品のタイトル
「魔女の秤」
中性の魔女裁判が主題になっています。
その昔、主体的に生きる女性ほど、
エネルギーを備えているので
恐れられたのかも知れません。
今回の展示は
女性の性的身体をテーマとして作られた作品が多く
そのモチーフはすべてガラスケースに閉じ込められています。
作品の説明は無く
私が感じたことですが、
ガラスの箱=社会、抑圧、自らその中に入っていくことで守ってもらえるが
*女性自らを見られる存在として生きていくことが望まれる
秤=重さを比較すること。
二つの物事について価値の重さを比較する
*ガラス越しに見られることで彼女の価値を計られる
謎めいたこの作品からは
あなたはガラスケースから出て行くのか
それとも保護され見られ比較されるのか。
女性が主体的に生きること
に対する問いだったような気がしました。
現代アートは感じるというよりは
思考を巡らしながら
自分が「社会とワタシ」の関係から何を導き出すか
問いかけてきます。
それは作者の想いから乖離したものかもしれませんが、
ものつくりをするアーティストは
私達の集団無意識を拾い取り、作品に昇華して見せてくれています。
作品と向き合ったとき、
私達はそこから再度、自分の無意識からのメッセージを
受け取るきっかけとなるのです。
アートは思わぬ視点と刺激を思考に与えてくれます。
最近考えが固まってきている。
と感じたときに、思考を解放する着火剤の役目もありますよ。