眼下には赤茶けたトタン屋根が広大なメキシコシティーの端まで続いていた。ところ狭しと並ぶバラック小屋を窓の下すぐに眺めながら「世界で一番市街地に近い空港」と呼ばれる所以がわかる。人々の営みが手に取るように見えた。

 

 

 

 

 

ニューヨーク観光を終え、カナダ・トロントを経由してメキシコシティーに入ったのは、ちょうど日本でお盆が始まる時期だった。

 

 

日本を出て、一ヶ月と少しフィリピンに滞在したのち、2015年の年末からオーストラリアに入った。そこから数えて9ヶ月。ずっと先進国を旅してきたわたしはなんだか安全で綺麗な街並みに飽きていた。

 

整備されたビーチ、凸凹のない道路、廃棄規制のかかった高級車。

 

どれもとても綺麗で新しくピカピカと光っていたのだけれど、正直わたしにとってはどれも同じに思えてならなかった。

 

 

 

 

「もっと、臭いところに行きたい」

 

 

ニューヨークを離れるときに強烈にそう思った。

 

気をつけないと穴につまづき犬のうんこを踏むような道。

ゴミで埋まった川岸。

自衛本能で鼻毛が伸びるほどの排気ガス。

 

そういったものに「憧れる」ことはほとんどキチガイに等しいと思う。それでもわたしは、整って、クリーンで、ルールがあって、それをきっちり皆が守っている、そんな場所から逃げ出したかった。規制もルールもへったくれもない、クッサイ場所に行きたかったのだ。

 

 

 

 

 

飛行機がメキシコシティーの上空につき、徐々に高度を下げ始めたときの興奮はやっぱりキチガイのそれだったと思う。台風が来たら吹っ飛びそうなトタン屋根が眼下を埋め、その合間に何百万と住む人々の営みのはしっくれのようなものを見ることができた。

 

 

 

それらはいかにも臭そうだった。

 

 

食物、排泄物、ゴミ、洗剤、排気ガス、人々の息

 

 

私たちが生きる上で必要なモノや行為の匂いがそのまま漂っていそうだった。それがとても嬉しかったし、わたしを心底興奮させた。

 

 

 

 

「Bienvenidos ! Mexico !(ようこそメキシコへ)」

 

 

機内アナウンスが流れて着席を促すランプが点灯した。もう間もなくメキシコに着く。

 

 

流れてきたアナウンスは当たり前だが英語ではなかった。スペイン語のあとに英語でのアナウンスが流れたが、機内のほとんどの客が英語のアナウンスを聞いていないようだった(とわたしが思いたかっただけかもしれない)

 

 

英語圏を離れたということも、さらにわたしを興奮させた。

 

フィリピンを含めて、日本を出てから英語圏の旅が長かったわけで、先ほど述べた先進国に対する飽きはそのまま英語という言語に対する飽きへと直結していた。

 

 

 

 

 

 

「なにかおもしろいことが起こるかもしれない」

 

未知の国メキシコの空港に降り立った時、右も左もわからず、曖昧に覚えていたスペイン語は曖昧すぎてなんの役にも立たず、まわりは褐色のラティーノだけしかいない。そんな状況だからこそ、わたしはこれから始まる旅に期待しか持てなかった。

 

 

気を張ってなんとか自分で切り開いていかなければいけない。

 

 

この緊張と興奮が旅の醍醐味だとわたしは思う。

 

 

 

 

 

 

とりあえず事前に調べていた路線バスを使って目星をつけている宿へと向かわなければならない。

 

 

わたしは案内板を頼りにバス乗り場に向かい、チケット販売機の近くにいた若い女性スタッフにチケットの買い方やバスの乗り方を教えてもらった。女性スタッフはとても親切だったけれど英語はほとんど話せなかった。片言の英語と単語を並べただけのスペイン語でなんとか理解して、わたしはメキシコシティ市内へとバスで進んでいった。

 

 

 

 

 

メキシコシティには中米を旅する旅行者の間でほぼ伝説的になっている有名な日本人宿があった。ネットの情報によるとかれこれ30年以上も前から彼の地で宿を経営しているという。オーナーのメキシコ人女性は当初、日本人の旦那さんと共に宿を経営していて、そのころから中米を旅するバックパッカーたちが流れ着くように集まってきた場所だという。

 

 

「ペンション・アミーゴ」という名のその宿は地下鉄レボルシオン駅の近く、バス停から徒歩5分程度の場所にあった。バス通りに面した黄色い壁の入り口には大きく日の丸が描かれていた。

 

 

 

 

「予約していないのですが、ベッドはあいていますか?」

 

呼び鈴を鳴らしてしばらくして出てきたオーナーらしきおばさんにそうたずねると、おばさんは少し微笑みながら、入りなさいと手招きしてきた。きっと日本語はあまり得意ではないのだろう。

 

 

がっつりお盆の時期だったので、大学生や夏休み中の社会人などで宿は超満員なのかと思っていたのだが、意外にも宿は閑散としていて、長期滞在者を除いて通りすがりの旅人はわたしを含め片手で数えられる程度しかいなかった。

 

 

「ナンパク、トマル?」

 

オーナーの女性が片言の日本語で聞いてくる。まだ決めていません、と答えると、わかったといって、宿代は出て行く前日までに払ってくれと言う。グラシアスと答えてわたしは部屋のキーを受け取った。この会話ができただけでもこの宿に来たことは正解だったとわたしは思った。

 

メキシコシティのあと、いくつか日本人宿と呼ばれる場所に滞在したが、日程をあまり組まない(予定を決められない)長期旅行者たちが多いので、どの宿も「出て行く前日までに払ってね」というシステムだった。

 

アミーゴがわたしにとって初めての日本人宿だったので、わたしはそのシステムに初めて触れ、それがなんとも旅人くさく、排世的で、言い換えるとしょーもない旅人感がして、少し感動さえしてしまった。

 

 

 

 

「朝食ハ、7時半カラ、ネ」

 

わたしを女性用ドミトリーに案内してそう告げたあと、“パスちゃん”と呼ばれるその女主人はバタンと勢い良く部屋を出て行った。部屋は薄暗く、道に面した壁の高い位置に明かり取りの小さな窓が付いていた。

 

 

シングルベッドが4つ隙間なく並べられた部屋にはわたし以外に先客が2人いるらしかった。どちらも留守だったが、荷物の感じからして旅の期間は長そうだった。

 

 

 

わたしはあてがわれたベッドに腰を下ろして部屋を見渡した。年季の入った少しくたびれた部屋だった。窓から入ってくるクラクションやラティーノたちの叫んでるのかと思うほどの大声を聞きながら、一人、ニヤけ笑いが止まらなかった。

 

 

 

 

「さて。これからどうしよう。」

 

見て回るべきところはたくさんある。どんな人がこの宿に泊まっているのかも気になる。昼飯はなにを食べようか。物価はどれくらいなのだろう。スペイン語がしゃべれないけど、会話はどうしよう。

 

 

わからないことが嬉しかった。予測不能なことが楽しかった。多くの面で不自由するだろうことが楽しみでしょうがなかった。

 

期待感。 

 

胸にはそれしかなかった。

 

 

 

 

わたしは薄暗い部屋で一人、ニヤけ笑いを止めることができなかった。

 

 

 

 

 

 

つづく。



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