ハイウッドの目抜き通り、ハリウッド大通りは人でごった返していた。

道の両サイドにはギラギラした装飾が眩しいミュージカルの劇場が並び、その間を埋めるように土産物屋やピザ屋が軒を連ねていた。


サングラスをかけて薄手のワンピースでお洒落した白人旅行者たちを横目に、わたしは大量の汗をダラダラ流し、薄汚れてきた大きなバックパックをひーひー言いながら背負って、宿へ向かって歩いていた。
8月も最後の太陽はやっぱり容赦なく照りつけていて、わたしは少しでも節約しようとし地下鉄に乗らなかったことをけっこう後悔していた。


空港からの直通バスは、わたしが予約した宿の最寄り駅から一つ手前の地下鉄駅の前で止まった。地下鉄の一駅だけを乗るのは、貧乏旅行者のわたしにとってなんとももったいない行為に思えたので、わたしはなんの迷いもなく雑多な人が行き交うハリウッド大通りを歩き出した。が、意外にもその“一駅”は思っていたよりも遠く、わたしは前述の通り、浮かれた観光客の間を必死の形相で歩いていたのだった。



「ハリウッド、しんどい」



道のりの遠さ、荷物の重さ、暑さ、よりなによりも、自分が場違いな場所にいるという感覚がわたしの気持ちをどうにも落ち込ませた。周りはどう見てもお金を使って遊び楽しむ場所とそれを目的に来た小綺麗な観光客ばかりである。2ドル程度の地下鉄をケチっている旅行者など、きっとわたしくらいだ。わたしは行き交う人々に大きなバックパックがぶつからないよう用心しながら、足元ばかり見ていた。




かの有名なチャイニーズシアターから目と鼻の先にある宿は、バックパッカーにしては高額な一泊50ドルする宿だった。ネット調べた結果、最安値だったし、移動でヘトヘトだったわたしは歩き回って宿を探すという行為ができなかった。

2段ベッドが4台並んだ清潔な部屋には先客が一人いた。ボストンで学ぶモロッコ人の彼女はとても親切で、ここいらのナイトスポットについて細かい情報をくれた。ともかく眠りたかったわたしは、彼女との話もそこそこに、自分のベッドに潜り込み、どろりとした眠りに落ちた。




気がついたときは外はまだ明るく、明け離れた窓からは通りの賑わい聞こえてきていた。

時間を確認すると夜の9時。宿に着いたのが夕方頃だったので、4、5時間は眠ってしまっていた。

太平洋をひとっとびして、17時間の時差を超え、さらに冬と夏の季節まで反転。ニュージーランドでは17時くらいには暗くなっていたのに、ここでは21時になっても明るい。いうまでもなくわたしの身体は大混乱になり、その後3日間は超絶ヘビーな時差ぼけに悩まされることとなった。





ハリウッドに滞在したのはたったの3日間だけだった。


時差の関係で、移動日の30日がとても長く感じられ、いつまでも8月が終わらない変な感覚だった。なかなか終わらない8月最後の日々を、近場の観光地をぶらついた他は、サンタモニカのビーチまで電車で行ってただ昼寝するというなんとも怠惰である意味贅沢に過ごした。



ハリウッドは、予想していたよりも「大味」だった。



きらびやかなシアターの前には、少し腹の出たエルビス・プレスリーや、本物よりもかなり豊満なマリリン・モンロー。中国のお土産やで売っていそうな胡散臭いミッキーとミニーの着ぐるみ。それらが、観光客相手に不自然に白い歯をこれでもかと見せながら愛想を振りまいていた。

一方で、ブランドもののバックを携えたでっぷり太ったご婦人をたくさん引き連れた団体客が、じゃらじゃらと音が聞こえてきそうなほど数珠繋ぎになってあるきながら、パシャパシャ写真を撮っていた。



キラキラとしていて、派手で、ゴージャス。とても大きく、騒がしかった。微細な趣よりもなにか別のもっとはっきり白黒つくなにかを必死に競っているようで、わたしはそれを見ながら、アメリカに来たんだなーと思った。


質より量。でっかいステーキ肉をこってこてのグレービーソースとともにかっこんでいるようで、わたしは初日でお腹いっぱい胸いっぱい
になってしまった。



オーストラリアの片田舎に住み、ニュージーランドの大自然に酔いしれてきたわたしにとって、そこはとても人工的で、わたしはそこからはじき出されたように、安宿(そんなに安くないけれど)の片隅で、窓から入ってくるガヤガヤとした笑い声やクラクションを聞きながら、屋台で買った5ドルのホットドックを頬張っていた。




「移動しよう。」





いてもたってもいられなくなり、わたしは次なる地、ニューヨークへ向けての航空券を手配し、4日目の朝、ハリウッドを離れた。もっと深く入れば、ロサンザルスもカリフォルニアも、もちろんハリウッドも、おもしろいところはたくさんあるとは思うのだけれど、その時のわたしは動きたくて動きたくて、どうしようもなかったのだ。




とくにこれといっておもしろい出会いもなく、後ろ髪引かれるものももちろんなく、わたしはしれっとハリウッドを後にした。宿のモロッコ人は最後まで親切で、good luck という彼女のぽてっとしたほっぺただけが、わたしのハリウッドでの唯一と言っていいほどの「見れてよかったもの」だった。




一路、大都会、ニューヨークへ。

いざ、行かん。






カイワレ