いま、リアルタイムでは、アメリカ(と、ちょっとカナダ)の旅を終えて、メキシコにいます。怒涛のように移動つづきだったこれまでの旅をなるべく早くリアルタイムに追いつけるように書いていきたいと思います。

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オーストラリアでのワーホリを終えて、ニュージーランドを10日間ほど旅したあと、NZ南島の都市、クライストチャーチを出たのが、7月30日の16時(NZ 現地時間)

太平洋をひとっ飛びして、アメリカ西海岸のロサンゼルスについたのが、
7月30日の昼12時(USA 現地時間)



移動時間はオークランドの乗り継ぎも含めて17時間くらいあって身体的には17時間、先に行っているのに、環境的には同じ日の昼間に逆戻り。

ロサンゼルスについてからの3日間は超絶ヘビーな時差ぼけにこれでもかというほど悩まされ、ついでに風邪気味だったことも相まって正直、観光どころではなかった。


ロサンゼルス空港に無事到着して入国ゲートを通過した瞬間の、わたしの安堵と歓喜たるや相当なものだったと思う。人知れず、小さくガッツポーズしたほどだ。

「あー、やっとついた。無事ついた。」

この感情は、なにも移動時間が長かったからだけではない。




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遡ること20時間前、わたしはクライストチャーチの空港で必死にパソコンとにらめっこしていた。腕時計をしきりに気にしながら、少なくなっていく残り時間とパソコンの充電に急かされながら、カナダかメキシコ行きの航空券を探していた。


自分の考えが甘かったと言ってしまえばそれまでだ。
というか、それしかない。
旅人として情報収集を怠り、自分を過信した結果だった。


16時発の飛行機の最終チャックイン時間は午後の3時25分。


残り時間5分になって、わたしはまだ航空券を購入できていなかった。この時点でわたしは一旦、航空券購入をあきらめチャックインカウンターへ走った。ことの次第を説明して、なんとかならないか相談するつもりだった。文字通り、カウンターのお姉さんに泣きつきにいった。







ことの発端はクライストチャーチ空港につき、チェックインを行っていたときだった。最近の格安航空会社にありがちな機械を使ってのチャックインを終えたあと、

「アメリカ渡航にあたり確認事項があるので係員にお声掛け下さい」

的な案内が出た。


お、来たな、と思ったが、このときまでは、「なんとかなるだろー」としか思っていなかった。





状況が変わってきたのが、近くにいたニュージーランド航空のスタッフに声をかけ、アメリカを抜ける航空券を持っているか尋ねられたあとだった。どこに抜ける航空券もバスチケットも持っていないと知ったアジア系のおねえさんは顔色を変えて「それではわたしたちの飛行機に乗せることはできない」と冷たく言い放った。それでも、なんとかいけないかと思い、ごねてみたのだけど、状況は一向によくならず、ついには奥から背広をビシッと決めた、見るからに偉めの紳士が出てきて、同じように、「アメリカを出る航空券を持っていないあなたを我々の飛行機に乗せることはできない」と突っぱねられた。


あぁ、やっぱりそうなのか、てゆうか、こんな厳しいんだ、まじか。


わたしは、2人を交互に見つめながら今後の対策について頭をフル回転させながら、急ピッチで考えた。まぁ、解決の手立てなんて一つしかないのだけれども。





2001年の同時多発テロ以降、アメリカに空路で入国する際はトランジットも含めてESTAと呼ばれる入国管理システム?に旅行者情報を登録しなくてはならない。また、不法滞在防止などの観点から、アメリカから出国する航空券も事前に持っておく必要があった。


インターネットなどで、そういった情報を事前に仕入れてはいたのだけれど、「航空券はなくてもなんとかなるだろう」という安易で楽観的な考えから、ついにわたしはアメリカを出国する航空券を持たずに、ニュージーランド出国日を迎えたのである。




「Ok, I will buy ticket to leave America…」


もうごねてもだめだなと悟ったわたしは、彼らの言う通りにルールに則ってアメリカを出る航空券をその場で買うことにした。カナダかメキシコならきっと安い航空券があるだろうし、行く予定でもあったからしょうがないが、買おう、と思って。




「でも、カナダやメキシコはダメだよ。」

わたしがおとなしく引き下がろうとした瞬間、偉めの紳士が言う。

「日本へ帰る航空券ではなければダメだ」



そんなことあるか、と思った。そんなわけはない。というかあってたまるか。日本へ帰る航空券なんていくらするかわからないし、もちろん日本へ帰る予定はない。そんな捨て航空券に安くないお金を使いたくない。



「なぜだ、わたしは旅を続ける必要がある。そんな航空券なんて買えない」


偉めの紳士にくってかかるわたしだったが、先方の出方は変わらない。


「カナダへの航空券を買ったとしても、アメリカへ入国できるかはわからない。また向こうでも今と同じようなやりとりが繰り返されるだけだ。」


偉めの紳士は引き続き冷たく言い放つ。変なアジア人にこれ以上かまっていられないんだ、わかれよバカ、といった表情だった。



絶対に納得できなかったわたしは、「それでは、アメリカについてまた何か言われたら、その時はまた同じ問答をしよう。その時にダメならまたカナダから出る航空券を買う。それでいいか、、、というかいいでしょ、ねぇ。」と交渉して、チェックイン前にアメリカ発カナダ行きの航空券を購入すればロサンゼルス行きの飛行機に乗せてくれるということでなんとか話をまとめ、先述の通り、空港の片隅でパソコンとにらめっこするに至った。

チェックイン締め切りまで残り50分でのことだった。




50分あれば余裕だろうと思っていた航空券購入だったが、アメリカ入国以後の予定を一切たてていなかったわたしは、どこからどう移動するかを即座に決めることができなかった。結局、あーだこーだいろいろ値段を見て探して、などしているうちに残り時間が10分程度になってしまった。とりあえず見つけた中で最安値だったニューヨーク発トロント行きの航空券を購入しようとしたのだが、クレジット会計の段になって、なんどもエラーになってしまう。カードが悪いのかと思い、カードを変えて試してみるも、購入できず、結局タイムオーバー。


文字通り、半泣きになりながらチェックインカウンターに駆け込み、ことの次第を説明した。オークランドでの乗り換え時間で、絶対、確実に、(actually ! seriously !!!) アメリカを離れる航空券を買うから、とりあえず乗せてくれないかと、ほぼ本泣きになりながらチャックインカウンターで拝んだ。


時刻は3時半を超えていて、本来ならばタイムオーバーであった。



そんなわたしの必死の形相をみたカウンターのお姉さんは、同情してくれたのかどうかわわからないけれど、電話でどこかへ掛け合ってくれて、とりあえずオークランドまでは乗せてくれることになった。オークランドでアメリカを出るチケットを購入して、それが先方の方で確認できたら、再度チェックインをおこなってロサンゼルス行きに乗せてくれる、とのことだった。


飛行機の出発時刻まで残り20分。ギリギリのギリギリだった。


わたしはカウンターのお姉さんになんどもお礼を行って、頭をなんどもさげながらその場を離れ、搭乗ゲートへと走った。その道中、例の紳士にあったので、ことの次第を簡単に説明した。紳士は一言、「Run, good luck」と走りさるわたしの後ろ姿に向かって声をかけてくれた。意外とけっこー、いい人だった。






息を切らして搭乗ゲートまでたどり着いた時、まだゲートは開いてさえいなかった。時刻は16時ジャスト。なんとも拍子抜けしてしまってベンチに倒れるように座った。ベンチ横にコンセントを見つけたので、充電が切れかけたパソコンをつないで、時間ぎギリギリまで最後、航空券購入と格闘した。


先ほど購入しようとしていたアメリカン航空を諦め、少しだけ(といっても数千円)高いデルタ航空のチケットにターゲットを変更して購入手続きを進めていった。


するとなんてことない、すんなりとクレジット会計もすることができ、登場ゲートが開く前にカナダ行きの航空券が買えてしまった。


さっきまでしこたまかいていた脇汗が冷えていくのを感じた。とりあえず、ここでできることはやれた。やりきった。わたしはオークランド行きの飛行機に乗り込み、横に座ったおばさんにこれまでの経緯を聞いてもらいながら、一時間半後にオークランド空港に到着した。







オークランドに到着してからは簡単だった。


一度荷物をとってチェックインしなおす時に、また例のごとくアメリカ発の航空券をもっているか尋ねられたのだけれど、カナダ行きの航空券を見せるとすんなりチェックイン作業は終わった。柔らかい雰囲気のおじいさんスタッフを狙って声をかけたのだけれど、クライストチャーチで言われたようなことは特に言われなかった。



搭乗ゲートでロサンゼルス行きの案内を見ながら、心底ほっとした気分にひたった。あー、やっとニュージーランドを発てる。自然と笑みがこぼれて、隣に座っていた男の子から訝しげな目線でしげしげと眺められたのだけれど、その時のわたしには一切、気にならなかった。




こうして無事、ニュージーランドを出国することができたわたし。


17時間の飛行機での移動は、気流の乱れによりなんども大きく揺れ、あげく、隣に座っていたアジア人の女性がトイレに立った瞬間に通路で倒れ、酸素吸入処置を取られたりして、なんとも落ち着かない時間だった。

※ その女性は数時間後になんともないような雰囲気で帰ってきた。なんだったんだろう。




そして、最終関門のアメリカ入国。


対応してくれたのは、黒人の強面のおじさん。わたしは内心とても緊張していたのだけれど、悟られまいと、笑顔で乗り切ろうと意を決していた。


おじさん「どこから来た?」

わたし「ニュージーランドからです!(ニコ)」

お「その前はどこにいた、日本からか?」

わ「オーストラリアです!(ニコニコ)」

お「アメリカのあとはどこに行くんだ」

わ「カナダです!8月9日に出ます!!」

お「そのあとはどこに行くんだ!!」

めっちゃ聞いてくんなーこいつ、と思いながら終始笑顔で対応。こっちの気持ちを知ってか知らずか、強面おっちゃんは質問をやめない。そして少しづつ話題がそれていく。


お「カナダのあと、メキシコにいくだと、お前、仕事はしていないのか」

わ「(そんなん聞くー??)はい、いまはしていません。旅の途中で、全体で2年くらい日本へは帰りません、働きません(ニコ)」

お「働かないだと、なぜだ!人間たるもの働け!お前いくつだ、日本で仕事はしてなかったのか!」

わ「(えー、入管かんけーなくなっちゃった!)2年半、マガジンカンパニーで働いてました。広告担当してました。仕事は好きですよ。帰ったらまた働きます!(ニコニコニコ)

お「そうか、まぁ、がんばれ。怠けると、人間だめだからな。しっかりな!」



enjoy and good luck、といって、おじさんは終始ぶっちょうずらのまま、わたしのパスポートにボスっとスタンプを押してくれた。最後の方は親戚のおっちゃんに説教されているような感じになったが、とりあえず、なんとか入国することができた。アメリカ出国については、出国日を確認されただけで特になにも聞かれなかった。





なんか、いろいろあったなー、とこの20時間を振り返りながらくぐった「Welcome LA」と書かれたゲートは、とても神々しくみえた。結果的に、なんとかならなかったけれど、ならなかったなりに、なんとかなったな、と安堵のため息をつきながら、ハリウッド行きのバスに乗り込んだ。



車窓からは大都会LAのヘビーな交通渋滞、その向こうに小さく「HOLLY WOOD」の文字が山の斜面にあるのが見えた。


あー、これが、まぁ、旅するってことですよね


と小さく独り言をいってから、バスの座席に深く座りなおした。久しぶりに自分で「旅」をしている感覚にしびれながら、これからはじまる「アメリカ」に思いを馳せた。





つづく。