翌日は昼ごろまで寝ていた。早く情報集めのため町にでなければいけないのはわかっていたのだけれど、連日の移動のせいで、身体が言うことを聞いてくれなかった。


昼すぎにもそもそと起きだしたわたしはとりあえず、昨日通過したレイテの集落まで行ってみようと思い、バン乗り場に向かった。聞くと、13時過ぎの便があるという。料金は往復で80ペソ、約240円だった。


レイテの集落についてからどうするかは特に決めていなかった。暗くなる前になにも見つからなかったらおとなしく今日はオルモックに帰ってこようと思っていた。


でも、なんとかなるだろうという楽観的な予感はあった。というか、それしかなかった。

今日なんとかならなくても、まぁ、明日や明後日には、きっとなんとかできるだろうと思っていた。世の中になんとかならないことはない。なんとかならなかったと思う自分と、結果はどうあれなんとかなったと思う自分がいるだけだ。そして基本的に私は後者の人間で、「まぁ、なんとかなったわな」と最終的な結果に満足してしまう人間だった。


だから、特にそんなに焦ることもせず、なにか情報がもらえたらラッキーぐらいの心持ちで、レイテの集落に向かった。



レイテの集落につくと、サリサリ(フィリピンの大衆的な雑貨店兼レストランのようなもの)の前でバンは止まった。


「さて、こっからどうしますかね。」

誰にともなくつぶやいてみた。
不安でなかったといったら嘘になる。自分を奮い立たせるためにも少し、大きめの声で言ってみた。同乗者の何人かが振り向いたので、わたしは彼らに微笑んでから、バンを降りた。



幸いなことに、メインストリートの両端に点在するサリサリを始めとする商店には、多くの人がいて、学校の終わる時間帯なのか学生やその保護者とみられるお母さん方がたくさん買い物をしていた。

これだけ人がいれば、誰か一人くらいは慰霊碑について知っている人がいてもおかしくないだろう。


とりあえず、サリサリの目の前に座っていた、40歳くらいの男性に話しかけてみた。スマートフォンの画面に、慰霊碑の目印となる国道沿いに建てられた看板の画像を表示して、ここを知っているかと尋ねた。


男性は一瞬、はて、という顔をしたのだけれど、横にいたおばさんや取り巻きが集まって来てくれたので、私はつづけて、ジャパニーズ、ソルジャー、WW2、といった関連ワードを並べ立てた。

「慰霊碑」という英単語を知らなかったし、正しく発音できる自信もなかった。英語は伝える気持ちが一番大切と、いつぞや誰かが教えてくれた言葉をわたしは律儀に守っている。


すると、近寄ってきてくれたおばさんの一人が、「あぁ!あそこよ、ほら!日本人のスタチューがあるじゃない!」と集まったフィリピン人たちに向かって叫んだ。何人かも、あぁ、あそこだ、あそこだ、と続けてくれた。

わたしの慰霊碑探しの旅は表紙抜けする程あっさりと、道が開けたみたいだった。

聞くと、この先の峠を越えたさらに先の峠の中腹にあるらしい。が、とてもじゃないが歩いてはいけないとのことだった。



とりあえず、慰霊碑が現存して、行き方もわかる人がいるということで、私は今日のところはこれだけでも大収穫だなと思った。あとは足をなんとかするだけだ。

出だしは好調。明日、タクシーか何かをオルモックでチャーターして出直せばいい。



「ほら、あんた!!!なにしてるのさ、連れてってやんなよ!!!」

明日の移動手段についてわたしが思案していると、リーダー格らしいおばさんが、わたしが最初に話しかけたおじさんの肩をバシっと叩いて言った。

おじさんも、さぞ当たり前のようにうなずいて、自身がまたがっていたバイクの後部座席を指差して、乗れ、と合図してきた。


お?お?と戸惑っているうちにあれよ、あれよ、という間にバイクに乗せられ、そのまますぐにそれは走りだしてしまった。


大丈夫がこれ、と思わなくもなかったがそんな不安をおかまいなしに、急勾配の峠をバイクがモーター音を響かせて登っていく。レイテの集落はすぐに後ろへ通り過ぎ見えなくなった。鋭く落ちた崖の向こうには草原が広がり、民家なのかただの小屋なのかわからないが人々の営みが点在していた。その向こうにはジャングルの影がうっすら目視できた。


「thank you very much」と肩越しにおじさんにお礼を言った。おじさんは振り向きもせず、OKとだけ応えた。順調すぎる旅路にこのまま変な所に連れて行かれたらどうしようと逆に不安を覚えなくもなかったが、そんな不安がむくむくと大きくなる前にあっさりと目的の場所でバイクは止まった。無口なおじさんは何も言わずバイクを止め、ここで待ってるからと一言だけ言ってタバコを吸いにどこかへ行ってしまった。



あ、着いた。まじか。

なんだか本当に拍子抜けするほど、順調すぎるほど、わたしは目的地まで来ることができた。これはもう、幸運という他ない。ここに来るべきだった、というか、来ることが決まっていたのだと、変なスピリチュアルではあるけれど、思わざるを得なかった。



峠の中腹に「JAPANESE SHRINE」と書かれた青い看板が立っている。そのすぐ傍に慰霊碑へと続く階段が伸び、階段の両脇には彼岸花のような赤い花が階段に沿って咲いていた。それは意図して植えられたのか、単に自生していたのかはわからないけれど、ここまでの道中や今辺りを見渡しても、咲いているのはその階段に沿った場所だけだった。


「やっと、来ましたよ」

そう呟いてから、わたしは一歩一歩を踏みしめながら階段を登っていった。思ったよりも傾斜がきついその階段は、心急ぐわたしに対して「落ち着け落ち着け、そこにいるから大丈夫」と語りかけているようだった。


峠を吹く風はとても心地よく、赤い花がゆっくりと左右に揺れていた。



つづく。


カイワレ