のどかな景色が淡々と過ぎていく車窓を横目に、おじさんとの会話はぽつりぽつりと進んでいった。
「僕もね、昔、旅人だったの。」
おじさんは遠くを見つめながら、懐かしさに目を細めて自分の体験を語り出した。
20年以上前、おじさんはハツラツとした若者だった。大学を卒業して、意気揚々と社会人になった。「それが、当たり前だったからさ」とおじさんは言った。
社会人として働き始めて3年目、ふとしたときになんとなく今の自分がむなしくなって、そのままの勢いで会社を辞めた。その時の感情がどこから湧いてきたものなのかは、正直わからなかったそうだ。
「もう、なんかいやになっちゃったんだ、こう、決められてるのがさ、若かったんだろうね。」
その当時のおじさんの気持ちは社会に出る目前だった私にもなんとなくわかる気がした。
仕事を辞めたおじさんは、特にお金もなかったので、実家近くの港(おじさんは長崎出身らしい)に行って、かたっぱしから貨物船の船員さんに話しかけた。一緒に乗せて行ってくれないか。雑用しかできないけれど、なんでもするから、と。
「いやぁ、何人も何人も当たり続けたよ。どこの馬の骨ともわからない奴を乗っけてくれる船は、そりゃあなかったねぇ。」
ケラケラ笑いながら、おじさんは話し続ける。諦めようとは思わなかったのですかと聞くと、「ほかにやることなかったからなぁ。」といって、またケラケラ笑った。おじさんは底抜けに明るかった。
何人にあたっか、何日かかったかは、聞くのを忘れてしまったのだけど、とりあえず、おじさんはその港で、乗っけてくれる船を見つけて旅に出た。その船がどこに寄港するかは一切、聞かなかったそうだ。
「目的地なんてはじめからなかったからね。」
船が止まったところで降りて港の周りを歩き、時には市街地に出て見物したりして、1年くらい船の旅を続けたそうだ。
「あのころからだろうな、俺が本当に生き始めたのは。決められたものから降りてなんにもなくなったところから、初めて自分で選んで船に乗って、世界中を旅して、それで、うん、帰ってきた。出るのも、帰るのも、自分の意思でやった。生きるって、こういうことだなってわかったんだ。」
おじさんは語り続けた。ケラケラ笑いながら、途中思い出すように遠くを見ながら語り続けた。
「最近はさ、仕事に忙しくてさ。もちろんこれも自分で始めたことだからあれなんだけど、少し疲れててさ。久しぶりになんかおもしろいことしてみたいなと思って、くだらないけど、「折尾でおりよぉ~」ってダジャレをいいたくてさ。折尾で降りたんだよね。したらさ、折尾駅の写真を撮ってるバックパッカーがいるじゃない。あ、君ね。もうさ、嬉しかったんだよね。今時まだこんな旅人がいるのかってこととか、久しぶりに動いてみたらこんな出会いがあるのかとか、いろいろさ。本当、旅っていいよね。」
「旅っていいよねって気持ちは、わかります。すごく。」
「うん。ありがとう。旅って、いいよね。」
おじさんは目を細めて笑いかけてくる。こちらこそありがとう、そう思いながら、いやこれを口にするのは野暮だと思ってやめた。きっと、おじさんには伝わってる。
私たち以外には乗客のいない閑散とした車内は、それでもどこか暖かく、出会いの不思議を際立たせてくれていた。
つづく。