2013年2月某日、私は北九州市の折尾駅にいた。

当時私は大学生活最後の休みを使って九州一周の旅をしていた。2月上旬に福岡市に降り立ち、叔母たちの家を訪ねて祖父のお墓まいりをしたあと、飯塚市の友人の実家に3日ほどお世話になり、その後、大分経由で宮崎に抜ける途中だった。


折尾駅からは特急ソニックという特急電車が出ていて、それに乗って大分駅まで行き、大分駅でさらに特急にちりんに乗りかえて、日向市駅に行く予定だった。特急ソニックの到着まで少し時間があった私は、地元民で賑わうホームをどこか夢見心地で見渡していた。

「やっと、始められる」

そんなことを、独り言ちながら。






私が大学生活最後の長期休暇をこんな風に一人で田舎の鉄道を乗り継いでせわしなく旅することに使っていた理由は、自分の心にしこりのように残っていた「灯台下暗し」感を払拭したかったからだ。


学生の間はせっせとアルバイトをして、ためたお金はほとんど海外旅行に使った。素晴らしい世界遺産、悠久の時を刻んだ遺跡、息を飲む自然美。やれマリーアントワネットの寝室だ、やれクフ王の墓だ、と世界の歴史の片鱗に触れ、たくさん感動した。


それでもあるとき、ふと気がついたことがあった。「自分のルーツに触れたことがない」。紀元前2500年前のエジプト王の墓参りはしたくせに、自分の血脈をたどり、先祖の墓に参ったことがない。それは自分にとって、どうしても目を背けられない事実として、胸の中にしこりのように残り続けていた。話で聞いた事があっても、実際に父が、祖父が、祖父の父が、育った村を見たことがない。「灯台下暗し」。私はきっちりと足元を照らして、そして、見たかった。



そんな“しこり”を取り除こうと、私は九州にきた。九州は私の父方のルーツがあり、私たちの歴史がある地だった。



「ご先祖の墓に参りたい。」

平成生まれにしては、かなり古風な願望かもしれない。周りの友人がバリだグアムだと海外リゾートを楽しんでいる間に、私は祖先を訪ね、冒頭の通り九州の片田舎に佇んでいた。







折尾駅はとても素朴な駅で、昼過ぎのホームは地元住民で賑わっていた。駅前には商業ビルもあったりして、千葉県の私の地元の駅とそれほど変わらない様子だった。地元の女子高生や部活帰りの野球部たちの群れに混じって、大きなバックパックを背負った若い女がどんな風に映ったのかはわからないが、ホーム上の駅名看板の写真を撮っていると、一人の中年男性が話しかけてきた。



「君はバックパッカーなの?」


小綺麗なワイシャツと程よくダメージしたブルージーンズ姿の40歳くらいのそのおじさんは、短い髪を茶色に染めていてピアスもしていた。それでいて特にうさんくさくいわけでなく、若作りが痛々しいわけでもなく、自分をわきまえて今を楽しんでいる、そんな雰囲気があった。不思議と警戒心はあまり湧かなかった。



「僕もね、旅人だったの。よかったら一緒に大分までいいかな。」


私が九州一周の旅をしていること、ルーツをたどる旅をしていることを伝えると、おじさんが申し出てきた。折尾から大分までは特急に乗って一時間半程度。それくらいの時間なら、おじさんがたとえどんな人でも耐えられると思った私は「もちろん」と答えて、まもなくホームに滑り込んできた青い電車におじさんと二人、乗り込むことにした。


電車が滑り込んできてすぐに、おじさんは駅のホームで売っている幕内弁当を買うことを強く勧めてきた。名物だから絶対食っとけ、と。もっと早く言えよと思わなくもなかったが、私は急いで弁当を買いに走った。弁当片手に急いで乗り込んだ車内は、座席間が広く、とても快適だった。おじさんが窓側、私が通路側に座り、特急ソニックは一路、大分駅へ向けて走り始めた。






つづく。




カイワレ