「ほいで、あんただれやったかいね」
 — だから、かずきじーちゃんの孫たい!



土曜日から、祖父の七回忌のために福岡に来ています。あれから6年、月日が流れるのは本当に早い。


福岡に発つ日の朝、飛行機の出発時刻の1時間半前に目が覚めた私。兄と二人、焦りに焦って成田へ向かうも、道に迷ってさらにタイムロス。初夏の朝陽の中、冷や汗と脇汗でTシャツはびしょびしょでした。


あんなに焦ったのは、ヨーロッパに旅立つ日に成田空港の登場手続きカウンターでパスポートを家に置き忘れたことに気づいたとき以来。


その時も無事?お母様のおかげで制限時間ギリギリで出国できたのだけれど、今回も無事、搭乗手続きの締め切りギリギリで滑り込みセーフ。


新設された第三ターミナルへ向かう最後の700mは、運動不足には心底こたえる道のりでした。まさに満身創痍。マラソンを走りきったかのような形相で文字通り駆け込み、タッチの差でセーフ。息も絶え絶えの状態で飛び立ったのでした。(その後、二日間咳が止まらなかった。笑)


きっとおじいちゃんがはよこいと言ってくれていたのですね。ありがとうおじいちゃん。





祖父は福岡に住んでいて、お墓も福岡市内にありますが、もともとの出は宮崎県の山の中。今も祖母と叔母以外の親戚の大部分が宮崎に住んでいます。


昭和30年くらいまで、ご先祖たちはその土地では、それはそれは大層な大地主様で、建物だけで100坪はある大きなお屋敷で酒造りをしていたそうです。


そこの長男坊として生まれた祖父は田舎者ながらとてもハイカラで、昭和初期、まだ小学生時分に革靴にカメラをぶら下げ、大きな蔵の前でポーズを撮る写真が残されていて、当時の栄華を物語っています。


2年半前、大学生活最後の春休みに私は自分のルーツを探る旅として九州をぐるっと一周しました。福岡からスタートして宮崎に下り、ご先祖たちの土地だった場所を訪れ、初めて会う親戚たちを訪ね歩きました。(そのことについてはおいおい書こうと思います)



その時以来、久しぶりに会うおばさん、おじさんたちは、あいかわらずすぎるほど、あいかわらずで、自分との間に横たわるDNAのつながりを感じないわけにはいきませんでした。


「ほいで、あんたはだれやったかいね」

「だから、かずきじーちゃんの孫のりかこたい」

「おー!ほじゃった、ほじゃった。」


焼酎を一杯飲み干すたびに繰り返される自己紹介と思い出話。おかしくて、楽しくて、焼酎もそりゃぁ、すすむ、すすむ。黒霧一本、数分ばい。



御詠歌を高らかに歌うお坊さんの後ろで、おどけた祖母と叔母が歌に合わせて独自の舞を披露したり(もちろん一瞬ね。)親戚のおじさんが持ってきた白黒写真に小さいときの兄に瓜二つのおじが写っていたり。


あぁ、私はこの人たちと血が繋がっているんだなぁ、と芋焼酎臭い宴席を見渡しながらしみじみと感じたのでした。


私が父の娘で、祖父の孫であることが強調される時間。それは父にとってもそうで、父が父であり、兄であり、息子であり、甥っ子でいられる時間、それが強調される場所。

田舎っていいなぁ。

田舎があってよかったなぁ。

この三日間、心底感じていました。

 


そして最終日の今日、祖母が押入れから出してきてくれてのは、宮崎の郷里で発行されている民芸雑誌。全部で30冊以上。そこでは、祖父が20年近くにわたり郷里の思い出や近況などをつづったコラムを連載していました。


歌舞伎や俳句などの文化系の趣味に精通していることは知っていたけれど、こんな形で祖父の書いたものを見る機会がやってくるなど思いもしなかったのでとても嬉しく、叔母が自宅で開いているピアノ教室のお稽古の音を聞きながら、午前中いっぱいをかけて読みふけりました。


そこには、今まで知れなかった一人の大正生まれの男としての祖父の姿がありありと描かれていました。









カイワレ