「さぁ。お入りなさいな」

「とりあえず、飲みましょうよ」


パリ、午前零時。
妖精のような美女に促され部屋の中へと入る私。唯一空いていたベッドへ荷物を置き、一息つく間もなく手渡されたコップには、ウィッカがなみなみと注がれていました。コップの縁すれすれまで注がれたそれは、部屋の蛍光灯を反射して透明にとろりと光っていました。


「私はヤナ。よろしくね。」といって柔らかに微笑む美女はロシアからの旅行者で、傍に控える屈強な男2人のうち、ブロンドの髪をコボちゃんカットにした優しげな方がヤナのボーイフレンドで、もう1人の背が高く強面の方がそのボーイフレンドのお兄さんとのことでした。なんともおもしろい組み合わせですよね。



二段ベッドの前に置かれた白い四角いデーブルの上には、ウォッカの大瓶が2つ、ワインのボトルが赤白一本づつ。その他すでに空になってつぶされたビールの缶が、何個か転がされていました。


これが噂に聞くロシアの酒飲みかと、私はすこし驚きながらも、好奇心にはもちろん勝てず、ヤナから差し出されたウォッカを受け取ると、ぐびりと一口。それが無言の宣誓となり、私はその酒宴に参加することになったのでした。







ヤナの英語力と私の英語力はどっこいどっこいで、なんとか意思疎通できるレベル。ヤナ以外の男性陣2人は全く英語が話せませんでした。2人には「ハロー」と「サンキュー」と「ビール」くらいしか通じなかったので、会話はもっぱらヤナの通訳を通じて行われました。しかし、バーバルコミュニケーションが難しくとも、世界最強のノンバーバルコミュニケーションツール“アルコール”が、私たちの宴を盛り上げ、一体感を生み、笑顔と笑い声を生み、私たちの間をつなげてくれました。



みるみるうちにワインがあいて、ウォッカがあいて、途中、お兄さんのバックからもうひと瓶、ヤナのバックからもうひと瓶、コボちゃんのバックからもうふた瓶を追加して、宴は続いていきました。ロシアから来た3人は、全く表情を変えず、ペースを落とさずに飲み続けていきます。私はきっちりと自分のペースを守りながら、世界最強と呼び声の高い彼らと酒を酌み交わしている、このある種の偶然と奇跡に感謝して、顔を真っ赤にしていたのでした。





そんな風に、パリの深夜、安宿の一室でロシア人たちとの酒盛りを楽しんでいると、ふと、ウォッカの原材料が気になった私。
常々私のくせなのですが、ふと衝動的にどうでもいいことが気になってしまい、どうしても知りたくてたまらなくなるときがあるのです。

「ウォッカって何からできてるの?」ヤナに聞いてみると「知らないわ」とのこと。ボーイフレンドに聞いても、兄に聞いても、「知らねーなぁ」。4人とも手に持ったウォッカをしげしげと眺めて、うーん、と一声。そしてごくりと一口やってから考え始めました。これはなにからできているんだろう。



ボトルのラベルを調べてみても、フランス語なのでてんでさっぱり。ネットで調べればきっと一発で出てくるのでしょうが、それでは趣がありません。4つの酔っ払った頭を持ち寄って、あーでもないこーでもないと呂律の回らない舌で議論が開始されました。



「ぶどうではないよな、ワインと色が全然ちがう」

「麦ではないかしら、だいたいの酒って麦っぽくない?」

「そりゃビールだろ」

「米はどうかな。日本のサケは米からできてるよ」

「ジャパニーズ・サケ、ありゃ、すこし女らしい酒だよな。ウォッカはもっとこう、荒々しい男酒な気がするな、俺は」

「ダークホースでとうもろこしってのはどうだ」

「(一同)どんだけだよwwww」



酒談義に花が咲き、議論が白熱してきたときには、英語も日本語もロシア語も入り乱れて、きっちり“4人”での会話が成立していました。振り返ってみるととても不思議なのですが、私以外の3人ときとんと会話で意思疎通ができていた気がします。(なんでだろう。さすが、あるこほーーーる!)






そんな感じで東西入り乱れての、あーでもない、こーでもない、が延々と続き、もはや話が逸れ始めたころ、ヤナがおもむろに叫びました。


「ウォッカはウォッカ!それが全て!!」


はい、終わり!とオリンピックかなにかの閉会宣言のように高らかに言い放たれたその言葉は、その場にいた全員を一旦静かにさせました。


「ウォッカがウォッカであれば、何でできていようと関係ないのよ!それが、米でできていようが、麦でできていようが、とうもろこしだろうが、ウォッカだから飲むの。好きなの。酔っ払うの!」



「ウォッカは、ウォッカ。」とさらに念を押して、ヤナは手に持っていたコップから、ウォッカをぐびりと一口。そして続けてぐびり。コップ半分ほどを一気飲みしてから、「それが全て!」ともう一度言って、キュートなその大きな目を細めておかしそうに笑いました。私たちはそんなヤナを見て、酔っ払いの酒臭い息を吐き出しながら「そうだ!そうだ!」と頷いて、ヤナの真似をしてぐびりと一口。そして全員でケラケラ笑いあったのでした。



「ウォッカは、ウォッカ。」

いい響きだなぁと、彼らの笑い声の中、酔いが回った頭でぼんやりと考えていました。つまらないこと気にしてんじゃねーよって言われてる気がして、なんだか妙に、余計に、込み上げてくる可笑しさがたまらなく心地よかったのを覚えています。原材料とか、スペックとか、くだらないものは置いといて、自由になれよって。ウォッカは、ウォッカなんだよって。


ウォッカは何で出来てるから好きなのではなく、ウォッカはウォッカだから、うまいし、好きなんだよね。ただそれだけ、なんだよね。うん。シンプル。自由で、そして、本質的。

ウォッカは、ウォッカであればいい。

私たちはそれを飲んで、酔っ払って、

私たちは、私たちであればいい。


うん、シンプル。笑っちゃうくらい、ね。









結局、ウォッカの原材料は麦などの穀物というのが正解だったらしいのだけれど、その日、パリの街角で開かれた酒豪たちによる酒談義の中で正解が導き出されることはありませんでした。


夜中3時過ぎまで続いた宴は、酒が全てなくなったからという理由でお開きになり、私たちはシャワーも浴びず、歯も磨かず、酔っ払った頭と満ち足りた気分を抱えて、寝床へと潜り込んだのでした。イベリア半島を出てから初めて、とても穏やかで暖かい人との出会いに、私はだれよりも満ち足りた気分で幸せな眠りに落ちて行きました。





翌朝、朝食も食べずに宿を出る私を3人はすがすがしい笑顔で見送ってくれました。二日酔いゼロ。さすが世界最強、です。ヤナは風邪ぎみの私を気遣い、ロシア製の風邪薬と、そして、昨日の戦利品として空になったウォッカの小瓶をくれました。



「ウォッカは、ウォッカ」

小瓶を受け取りながら、4人で最後にケラケラ笑い、私は宿を後にしました。




「それが、全てよ。」


その日は快晴で、晴れ渡る青空が眩しいくらいでした。昨夜とは比べられないくらい軽い足取りで、私は地下鉄までの路地をその青空を見上げながら歩いて行きました。










今、部屋の窓辺に置いてある空の小瓶は、パリの安宿での熱い一夜を思い出させてくれます。







カイワレ。