母親とは・・・その2 | 水彩とパステルのアトリエ「マリンカ」 小泉彫ブログ

水彩とパステルのアトリエ「マリンカ」 小泉彫ブログ

これがパステル?!
と息を飲む…その繊細さと迫力に
大切な人からの優しさに気づき
幼い日の勇気を思い出す
そんな自分の心と向き合えるパステル原画のオーダーをお受けしています。

パステル教室も随時リクエストをいただいて開催します!



上海のインター時代に息子が描いた絵


幼稚園の先生だった母の子供である私は

ある意味「不幸」だったと思います。


当時の幼稚園の先生といえば

絵がうまい

ピアノが弾ける

字が上手い

と3拍子揃っていました。


当然 子供の描くもの・書くものには

厳しいチェックが入りました。


お気に入りの兄は

字が上手い

絵がうまい

音感が優れている(ピアノがうまい)

母の期待に見事に答えます


私は・・・

ピアノ嫌い

練習が嫌い


当然字も音楽もうまくならない


ただひとつ「絵を描く」ことはとても好きでした。


が・・・


母の満足のいくレベルではなかったようです

(母絵がうまいですからね 要求もハンパないです)


小学校から出る絵の宿題は すべて母がやりました。

(カミングア~ウト!)


新年の書初めの宿題も

ずっと母が見張ってマンツーで書かされます。

「もう少し長く!」

「もう少し下まで!」

と檄が飛びます。


それが1~2時間続くのです。


地獄でしょ?


遊びたい盛りですよ


なので 私はずっとずっと

「私は字が下手だ」

「私は絵が下手だ」と信じて疑わなかったです。


挙句の果ては夏休みの「読書感想文」の宿題まで

母が書いて出す始末。


当然 素晴らしい出来ですよね(大人が書いているんですから)

ぐぐっと成績もあがるわけです。


でもちっとも嬉しくないんですよね

自分でやっていないから。


そうやって私は思春期を迎えました。


「自分でやってみたい」という思いはずっと

心の奥底に眠っていたのでしょう。


母が絶対に手を出せない分野

「スポーツ」

当時大流行してた「テニス」を始めました。

(エースをねらえ!ね)


何も母から指図を受けない

この快感

楽しさ

自由さ


通っていたテニススクール主催のトーナメントで

優勝したときは びっくりしてしまいました。


「これはもしかしたら・・・生まれてはじめて

本当に自分の力だけで手にした結果なのでは?」


私ひとりの力でもできるんだ!

と初めて知った瞬間でした。


この経験があるので

私は子どもたちの宿題を「手伝わない」と

決めていました。


手伝ってしまったら 子供のためにならない。


良いものが出来なくても

成績が悪くても

「自分で完成させる」ことが

一番重要なのだとわかっていたから。


あ!2回だけ手伝いましたね


①息子高3 美術の点数が1やら2だったら

評定平均が下がってしまう!

ということを知った時に 


②娘家庭科の宿題で1食献立をたてて料理する。

あぶなっかしくて 


手伝いましたね(汗)

偉そうなこと言えませんね 本当は。


もうすぐ夏休み


無意味な自由研究の宿題

(インターは9月が新学年の新学期なので宿題のない

極楽の夏休みです)


どうか お母さん お手伝いしないでください。


続く・・・




「母親」とは・・・? その1