おはようございます。
昨日 娘の高校へバザーのお手伝いに
行ってきました
小・中・高と7回目
これが最後となります。
夏休みにビーズ作品を制作したり
前日に大根やニンジンを100本ぐらい
切ったり
当日は寒空の下 震えながら芋の子汁を
販売したり・・・
いろいろ思い出はつきません。
7年前に上海から帰国する3か月前、
子どもたちを連れて一時帰国しました
大阪の千里国際
沼津の加藤学園暁秀中学校
那須高原海城中学
そして東京の公立
広尾学園
通っている小・中学校(K校)
と3日間で學校見学して回りました。
娘は 大阪の千里国際と同じ敷地内にある
アメリカンスクールに 目がになっていましたが・・・
子どもたち2人を日本でインターに通わせるような
財力は残念ながらないのです。
親としてはとてもとても 申し訳ないと思いながら
すでに中2だった息子中心で
学校選びをしました。
最後の選択肢として
広尾学園とK校が残りました。
広尾学園は 授業をすべて英語で行う
インターコースが開設されてまだ1年という段階。
インターコースの生徒はたったの5人。
しかも都心にある元女子校なので
校庭が猫の額のように狭い。
小学校はないので娘は中学からしか
通えません。(当時小6の春)
インターコースは 捨てがたい魅力でしたが
荒んだ心で帰国する息子には
多くの友人との出会いや
広々とした環境が必要のように思えました。
幸い K校は 帰国子女が4割を占めるので
似たような感じのお子さんたちが多数。
東京西部の田舎にあるので
広大な敷地(狸もでる)は申し分なし。
おまけに希望すれば週1回中国語のレッスンを
ネィティブから受けられる
問題は娘が嫌がったこと。
(緑が多いので虫が出る、制服が嫌)
中学から千里国際に変えてもいいんだよ
(インターではなく・・・お金ないし)
と説得してK校に決定。
結局 節目ふしめで学校を変えることも
聞いてみたものの 高3までこのまま。
大学受験に際し学校選びで
「おかあさん ずるい。
幼稚園からず~~~~~っと私が選ぶことなんて
1度もなかったのに、突然大学選びは自分で!
なんてできるはずない! 無責任だ!」
ときつ~~~~~~~い言葉が飛んできたものです。
ここは 私の子育ての大きな大きな反省点となりました。
転勤族だったので
1つの学校に長く在籍することが
なかなかできない。
それでも 娘は小学校は上海のインターに通いきる
ことができたので 奇跡的でした。
2人ともあのままずっと高校卒業まで
上海のインターに通っていたかったのです。
企業戦士には 容赦なく会社の都合で
「今日は東へ 明日は西へ」と辞令が飛んできます。
お父上が帰国しても母子で居残られるケースも
ありますが、財力がなければできません。
たとえ財力があったとしても
子ども2人を抱えて中国でひとりでやっていく自信が
当時の私にはありませんでした。
それぐらい5年にわたる中国暮らしは
疲れるものだったのです。(今思うと)
もちろん楽しいこともたくさんありました。
貴重な経験も山ほどありました。
今の私だったら もっともっと
駐在生活を楽しめたことでしょう。
(でも もう行かないけど!)
息子が高1の時に再度主人に海外転勤の
辞令がでました。
一緒にいけば再びインターに通うことができます。
その場合は
1.大学受験で帰国せず海外の大学を
ターゲットにする。
2.帰国子女枠で日本の大学を受験できる
と幅が広がります。
大いに行くべしと思ったのですが。。。。
息子「もう学校変えたくない!この学校を卒業する。
高校生になってやっと学校楽しいって思えるように
なった。」
・・・・・・そうですか。
娘は海外へ行きたかったのです。
でも 息子がこういう以上私は残らねばなりません。
(いま考えると一人暮らしさせてもよかった)
娘に「お父さんと一緒に行ってもいいんだよ」と
促したのですが
「おかあさん 行かないなら行かない」
と 結局また兄中心の学校選びとなってしまったのです。
今回大学受験の学校選びは
悩みながら娘自身ですべて決めました。
親として頭が下がります。
そして 可愛らしかった私のお嬢ちゃんではなく
たくましい女性への一歩を踏み出してくれました。
まもなく 私の子育ては
本当に終わりそうです。
これからやってくるであろう「さみしさ」と
どうお付き合いするかが最大の課題に
なりそうです。
長文お読みくださり ありがとうございました。