浄土真宗の人は私が善の話をすると、善をやるというのは自力だ、そんなの必要ないと言います。
ここで疑問に思うことですが、善は必要ないというのは、阿弥陀仏に救われる為にはということであり、この人たちは阿弥陀仏に救われる為に必要なければ、日常生活において善をやる必要がないのかということです。
仏教は因果の道理を根幹としています。だから、幸せになりたければ善をしてゆく必要があります。
だから、幸せになりたいと思ったら善をしなければなりませんし、善をしなかったら幸せもやってきません。
だから、阿弥陀仏に救われる為とかに関係なく善はやっていかなければならないものなのに、浄土真宗の人は阿弥陀仏に救われたなら浄土に往生できると思っているから、この世で幸せになる為に努力は必要ないと思っています。
当たり前のことですが、幸せになる為に善をしてゆく。それが当たり前のように受けいられるようになって欲しいものです。