仏法が本当に分かったとは知識としてどんなに仏法を知っていても、それで仏法が分かっている訳ではありません。仏法の教えを聞いて、そこで教えられていることを世界を通して観察する。例えば、執着の話を聞いたならば、まず執着って何だろうと思う。そして、自分の生活を通して執着している場面にぶつかり、これが執着なんだと気づくこと。言葉として理解したものを生活を通して知らされてこそ、仏法が分かります。頭だけの理解では仏法は分からない。これが教えられたことなんだと知らされてこそ、仏法が本当に分かったと言えるのですね。