「メルトダウン」を読んで―この国の教育の敗北(1)― | 中学受験つれづれ-プロ家庭教師の独り言-

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中学受験に携わって25年になりました。日々、生徒と触れ合う中で感じることを発信していきたいと思います。

 先日「メルトダウン」(大鹿靖明氏著,講談社)を読了しました。

 とてもとても考えさせられる内容でした。


 昨年の3月11日に東北地方を襲った巨大地震と津波。これ自体はもちろん,天災です。しかし,その後に起きた東京電力福島第一原子力発電所の炉心溶融事故は,この書を読む限り,人災以外の何物でもない,という印象を持ちました。


 なぜこのような,世界最悪級の厄災を私たちは招いてしまったのか。「安全神話」という語が,事故後,多くの場面で語られました。「原子力ムラが作り上げた安全神話を盲信していた(させられていた)」 そこにあるのは,私たちはあくまでも被害者であり,被誘導者であるというニュアンスです。あたかも,先の第二次大戦終戦後,「悪いのは軍部だ」「暴走した軍部とそれを停められなかった政治家のせいだ」と,すべての原因を国民をミスリードした一部の軍人や政治家に押し付けた論調のようです。


 一連の事故の経過,そして徐々に明かされるその原因を見聞きするにつれ,この事故についても,果たして東電の幹部や原子力安全・保安院だけにこの責任を押し付けていいのだろうか,という疑問が僕の心の中に生じました。もちろん,第一義的責任は両者にあります。しかし,その根本原因を考えたとき,私たち国民は「完全に無辜である」と言えるのでしょうか。この一連の福島第一原発で起こった事故(?)は,まさに「自分の頭で考える」「最低限度の想像力を働かせる」ということをせず,ただ上から覚えろと言われたことを機械的に覚え,あるいは覚えさせてきた,そして目先の問題をクリアしさえすればOKという思考回路を根付かせてしまった,この日本という国の教育の結果,その失敗の証しなのではないでしょうか…。読み終えたとき,頭に浮かんだのはそんなある種の「敗北感」じみた思いでした。


 いみじくも,森上教育研究所の森上展安先生が「受験菅見」(さぴあ2012年3月号所収)で次のように書かれているのを拝読しました。

「実際のところ,今は,多くの授業が「東大入試に出るかどうか」ということでその価値を判断される傾向にあるように思う。難関校や準難関校の先生方や生徒も,さらには保護者の皆さんもそうした雰囲気に染まりやすい。そのことが悪いというのではなく,入試とは関係のない『学問独自の軸』がもはやどこかに行ってしまっているのではないか,その危うさを多くの人が自覚しなくなっていることの方がむしろ恐ろしい。」
「1年ほど前,男子難関校の校長先生らと雑誌の座談会でご一緒した際,偶然にも原発事故が話題になった。その時皆さんが共通して持っていた認識は『全体のシステムを総合的に考える知性が欠けている』ということ,ひいては『個人個人が拠って立つ軸が流されやすくなっている。それがとても危うい』ということだった」


 まさに,この「メルトダウン」を読了して胸に去来した思いを簡潔かつ的確に言いあらわされている,と感じました。

 これから何回かののブログは,「メルトダウン」を引きながら,この問題に関しての自分の考えを述べさせていただきたいと思います。もちろん自分は「たかが塾屋」です。天下国家を論じる滑稽は理解しているつもりです。しかし,このブログを,大変ありがたいことに熱心にお読みいただいている何人かのご父母や同じ業界の方々の存在も存じ上げています。それらの方々に,少しでも自分の抱いている危惧と敗北感が伝われば,そしてその方々が少しでも「自分の頭で考える」「想像力を働かせる」ということの大切さを念頭において子育てや教育をして下さったら,と思い,身の程知らずの誹りを恐れず今回の内容をアップしたいと思います。


   *   *   *


(1)地震発生,そして全電源喪失

 あの2011年3月11日。このブログでも一度書きましたが,都心の塾で授業準備をしていた僕は,収まるどころか揺れ始めて30秒経ってもさらに大きな波が押し寄せる,かつて経験したことのない地震に飛びあがりました。すぐにヤフーのニュースで宮城県沖で大地震があったことを知ります。まず頭に浮かんだのは,「これだけ揺れたというのに震源はここから300km近くも離れている。いったい震源近くはどんなひどいことになっているんだ!?」ということでした。夕方の授業の教壇に立つべく15時過ぎに出勤した同僚の先生が職員室に入るなり開口一番「やばい,仙台は火の海になっている」と言い,皆青ざめた顔を見合わせました。しかし仙台の火災はこの未曾有の大災害のほんの序曲だったことを私たちはやがて知ることになります。


 ヤフーのニュース一覧に,突如(ではないのかもしれませんが,自分は「突然」と感じました)「原子力緊急事態を宣言」という見出しが現れたのはいつごろだったのでしょうか。はっきりとした記憶はないのですが,今,「メルトダウン」を読むと,当日の20時くらいだったのではないか,と思います。その前に福島や女川などの原子炉が緊急停止したことは知っていたので,配管か何かが破損して冷却水や微量の放射性物質が漏れ出たのか,と思いました。それにしては近隣住民を退避させる緊急事態宣言とはずいぶんと早手回しな,というのが第一感でした。この時点では,現場ではチェルノブイリ級の重大事故が起きていたなどもちろん知る由もありません。東海村で被曝により犠牲者が出たJCOの臨界事故の教訓を活かして,迅速に退避指示をだしたのだろう,と。
 
 その後,おそらく,11日の夜中には「原子炉内の温度が急上昇」とか「電力が供給されない状況」(この時点では確か「全電源喪失」という術語は一般的ではなかったと思います)というニュースがネット上でも飛び交ったのでしょうが,地震と津波の被害状況にばかり気を取られていた僕は原発については一時的に意識から抜け落ちていました。近くのネットカフェで仮眠し,朝,10時ころだったでしょうか,再びPCを立ち上げたとき真っ先に目に飛び込んできたのはヤフーニュースの「福島第一原発,メルトダウンか」という衝撃的な文字でした。


 原子炉は停止後も核分裂生成物などによってものすごい量の崩壊熱を出し続けます。それは冷やさなければやがて炉心そのものを熱で溶かしてしまう。これが炉心溶融=メルトダウン です。それを避けるために,原子炉は停止させた後も冷却装置で冷やし続けなければならない。しかし地震で原発に電力を供給している鉄塔は倒壊,福島第一原発は外部からくる電力(外部電源)を失いました。さらに頼みの綱だった非常用ディーゼル発電機は地震発生から40分後に来襲した津波により水没し働かなくなってしまいます。つまり,原子力発電所では決して起きてはならない「電力が全く供給されない状況=全電源喪失」が発生してしまったのです。


「!?!?!?!?!?!?」


 僕は咄嗟にはいったいなぜメルトダウンが起きた,もしくは起きつつあるのか,のかわかりませんでした。大学時代,一般教養科目の課題でスリーマイルアイランドの原発事故を調べたことがありました。その際に「チャイナシンドローム」や「水蒸気爆発」という事象を学んだことがあった僕は,「メルトダウン」が意味することをたぶん,一般の方々よりも多少は分かっていたのだと思います。一瞬にして総毛立つ,というのはこのことを言うのでしょう。自分の二の腕に立った鳥肌を,今でもはっきりと思いだすことができます。
 慌ててグーグルの地図で福島第一原発と自宅の距離を目視で測ると220km程度。チェルノブイリでは,最大半径350km圏で高濃度の放射性物質が観測され,農作物の無期限作付停止措置・住民の移転推進措置が取られている。もちろん,原発から大量の放射性物質が放出されたとしても,JOCの事故のような,瞬時に生命に危険が及ぶようなレベルではないでしょう。もう40代も後半になる自分は被曝してもその影響が現れるころには寿命も尽きる。しかし自宅には小学生低学年の2人の子供がいる。成長期の子供が被曝したら…。そしてまた福島第一原発で大規模な水蒸気爆発が起きれば,おそらく直線で250kmの東京も強制退避地域になる。首都圏4000万人の住民が着のみ着のまま中部や関西や北海道に逃げたとして,そのあといったいこの国はどうなっちゃうんだ…。冷や汗が流れてきました。向かいの席の同僚から「大丈夫か,顔が真っ青だぜ」と言われたのはこのときです。


 この時点まで,現地ではどのようなことが起きていたのでしょうか。「メルトダウン」から該当部分を引用させていただきます。


「(津波の)被害はあまりに甚大だった。海側に面した主要建屋のほぼ全域が浸水し(中略)濁流が勢いよく押し寄せ,タービン建屋も原子炉建屋もまるで海水に囲まれた孤島のような状態に陥っている。海水は地下に怒濤のように流れ込み,海側に面するタービン建屋などにあった1~6号機の非常用のディーゼル発電機12台と1~5号機の非常用電源盤はこのとき水没したり,関連機器が浸水したりして,使い物にならなくなった」(27ページ)

「吉田(=吉田昌朗福島第一原発所長。引用者注)たち免震重要棟にいた幹部たちは,想像を絶する事態に一様に言葉を失った。想定していたあらゆるシビアアクシデントをはるかに上回る事態だった。吉田は何をすればいいのか,咄嗟には思いつかなかった」(本書11ページ)


 吉田所長は午後3時42分,「原子力緊急事態が起きかねない状態」になったと判断し,特定事象発生通報をファックスします。そしてさらに50分後,より事態が悪化したとしていわゆる「15条通報」を行いました。3:42のファックスが「10条通報」すなわち「緊急事態が起きかねない状態」という判断に基づくのに対し,この「15条通報」は「緊急事態が起きている」際に行われます。つまり事態が一段と悪化していることを意味します。ここにおいて我が国で初めての「原子力緊急事態」,首相が緊急事態を宣言し,放射能汚染にさらされそうな周辺住民を退避させなければならないという最悪の事態が生じたことが明らかになりました。


「原子炉の緊急停止にほっとしていた東電本店の対策本部は,電源を失ったという知らせに一気に緊張が走った。幹部の一人はあまりの事態に言葉を失った。『電源を失うと原子炉を冷やせない。このままではメルトダウンが起きる』」(本書27ページ)


「本店で留守を預かる小森明生常務(原子力・立地本部副本部長)は気が気ではなかった。外部からくる交流電源と非常用のディーゼル発電機を地震と津波で失った今,原子炉を冷やすには自家発電ができる電源車に頼るしかない。電源車は緊急を要する。警察に先導を要請してほしい,と指示を出した」(本書37ページ)


「海江田経産相はこの日午後4時すぎから開かれた全閣僚出席の緊急災害対策本部の会議を終え,4時半ころ経産省に戻ってくると,事態は腰を抜かすほど一変していた。海江田が福島の第一・第二原発について最初に受けた報告は,原子炉が緊急停止した,ということだった。だからそれまでの彼の問題意識は,電力消費地の関東圏への一大電力供給拠点の能力を失い,これから大規模な停電が起きるかもしれないことにどう対応するか,という点にあった。(中略)それなのに,官邸から経産省に戻った大臣を待ち構えていたのは予想を超える凶報だった。『大臣,福島第一原発の原子炉に異常事態が発生しました』」(本書38ページ)


 官邸も右往左往します。

「いったいどうやって緊急事態を宣言するのか,官邸にはノウハウらしきものがほとんどなかった。(中略)管(首相)の秘書官たちが慌てて六法全書を広げて関連法規を読み漁っている」(本書42ページ)


 そして政府は19時3分に原子力緊急事態を宣言します。自分がヤフーニュースで見た,と書いたのは当然この宣言の後ですから,20時ころだろう,と今思うのです。

 午後8時50分,緊急事態を宣言しておきながら避難区域が定められない政府に業を煮やした福島県が半径2キロ圏内の住民に避難指示。午後9時23分に政府が10キロ圏内の住民に避難指示。午後9時52分からの枝野官房長官(当時)の会見で「速やかに退避を始めていただきたい」と国民にメッセージを伝えます。


 こうして官邸がオロオロしているうちにも現場の状況は悪化の一途をたどります。

「福島第一原発所長の吉田から空恐ろしくなる連絡が、経産省の原子力安全・保安院原子力防災課あてにファックスで届いたのは午後9時15分のことだった。(中略)そこには2号機の燃料棒がむき出しになり始める時間が『21時40分頃になると評価しました』とあった」


 そして続くデータ解析から,27時20分(12日午前3時20分)には原子炉格納容器設計最高圧に到達してしまう旨が記されています。格納容器が設計上耐えうると思われる圧力に6時間後には達してしまう,という意味です。福山官房副長官は「どこからでもいい。1台でも早く現地についてほしかった。四方八方から福島第一原発をめざせ,と」(本書50ページ)と祈るような気持ちでいたことを事故調に述べています。

 

ようやく,東北電力から派遣された電源車の第一陣が緊急時の対応拠点,福島オフサイトセンター(原発から5kmほど離れたところにある)に到着したのは午後9時過ぎ。
 
 「官邸では秘書官の一人が『いま原発に着きました』と大きな声をあげると,秘書官室の庶務の女性が『良かったー』と泣き崩れんばかりの声をあげた」


 ところがあきれ果てるような事態が起こります。

 「ところが接続プラグが合わなかった。しかも電圧も合わなかった。菅総理はそんな報告を受けて
びっくりした。『合わないなんて…。電力会社なのに事前の準備が全然できていないんだ。そんなことってあるか!』(本書52ページ)


 「そこで福島第一原発所長の吉田は2号機建屋内の動力変圧器につなぐことを考えた。しかし,2号機周辺は瓦礫が散乱しており,電源車が近づけない。(中略)2号機のタービン建屋の脇まで電源車を移動させて,建屋大物搬入口から動力変圧器のあるところまでケーブルでつなごうと考えた。それには,200メートルのケーブルが必要だった。だか電源車が搭載しているケーブルはそんなに長くない。

 現地から『長いケーブルを空輸できないか』との知らせを聞いて東電本店の対策本部は慌てて社内や取引先に『200メートルくらいのケーブルはないか』と問い合わせるが見つからない。

 いったん女性スタッフが泣き崩れんばかりの歓声を上げた官邸は,『電圧が違う』『ケーブルの長さが足りない』と次々入ってくる報告に愕然とするばかりだった。」


 「やっと,原発所内下請け企業が定検工事用に保管しているのをその企業の従業員が思い出し,ケーブルがあると聞いて一同はホッとしたのもつかの間,いざそれを取り出そうとすると,今度は鍵がない,という」(本書53ページ)


 例えばドラマや映画で上記のようなシーンを役者さんが演じたとしたらどうでしょう。余りのバカバカしさに見ている人は失笑し,「いくらなんでもそれは作りすぎでしょ」と言うに違いありません。しかし,それが現実の現場で起きていることだったのです。
  
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