(4)自衛隊機による海水投下オペレーション・ハイパーレスキュー隊の放水
この4号機の爆発のあと,管総理は数人の学者に対して「最悪,どういうことが起きるのか」とシュミレーションを依頼しています。その結果は「最悪のケースの場合,半径170km圏は強制移住,250km圏も避難指示」。管総理は当時のことを振り返りこういっています。「人っ子一人いない首都圏が何を意味するのか。国家としての機能が維持できるのか。背筋が寒くなる思いですよ」(本書139ページ)
3月17日(木),政府の要請を受け,陸上自衛隊のヘリコプターが7.5トンの水を原発に投下するために飛び立ちました。7.5tの水とはどのくらいの量なのか。1辺1mの立方体の容器に入る水が1tです。2m×2m×2mで8t。つまり自衛隊機が命がけで接近し,投下しようとしている水はわずか1辺2mの立方体の水槽にも満たない量です。僕はそのニュースを聞いた時にこれはいよいよダメか,と思いました。徒手空拳というか何というか,アメリカ軍の上陸に備えて竹やりで武装した戦争末期の話を連想してしまったのです。原発の状況は,前日の16日(水曜日)には,一段と悪化していました。3号機でも燃料棒プールから白煙が上がっています。まるで「もぐらたたき」のような手の付けられない状態に陥っている,と言ってもおかしくないような始末です。
* * *
また時間軸を少し戻したいと思います。震災から3日経った週明けの14日の月曜日,計画停電の実施で首都圏は朝から大混乱に陥りました。始発からほとんどのJRの近距離電車が運休,私鉄も大幅な間引き運転。僕の勤めていた塾では授業は休みでしたが,広告関係でやり残した仕事があったのでそれを仕上げるためにいったんは家をでました。しかし幹線道路は大渋滞,バスでふだん15分程度の私鉄の駅まで1時間あまりかかってしまいます。しかもようやくたどり着いたその駅でも「次の電車はいつ来るかわからない状態です」とアナウンスが流れています。結局出社はあきらめ,自宅にUターンすることにしました。テレビの夜のニュースに使うのでしょうか,駅構内でカメラとライトを向けられた初老の紳士が「まあ,大変は大変ですけど,被災された方のことを考えたらこれくらいのことは我慢しないと…」とマイクに向かって話していましたが,ほとんどの首都圏の方は同じ気持ちでいたのではないでしょうか。
家に帰ると,奥さんから「ねえ,どうする?」と尋ねられました。よく質問の意味が分からずにいると,学校を3学期の終業式まで休んで九州の親戚に家に行った知人がいるとのこと。うちはどうする?という意味でした。「うーん…しかし関西や北海道に居候できる知り合いがいるわけでもないしなぁ…。ひとまず様子をみるしかないんじゃないか」とそのときは答えました。しかし,その晩には別の知人から,旦那さん一人を残し家族は関西に行くことを決めた,とTELをもらいます。相次ぐ周囲の避難に奥さんも動揺しきりです。「ねえ,でも様子を見ているうちに手遅れになったらどうする?ほんとにここにいて大丈夫なのかなあ?子供たちの健康は親が守るしかないんだよ」と詰め寄られました。自分が行かないにしても家族だけでも避難させた方がいいのだろうか。民宿やペンションだったら今から手配しても何とかなるかもしれない。しかし,義務教育である小学校が休校にならない以上それを勝手に休ませて東京を離れるのはいかにも気が引ける…。
さらに,僕が家庭教師で伺っている先のご家庭に春休みの日程について相談しようと連絡をしたら「今,海外なんです」と言われて絶句します。(動ける人はみな動いているんだな)と,またそこで動揺。日本を代表する製造業が本社機能を関西に移す準備をしているとか,政府系職員には秘かに家族を西日本か北海道に退避させるよう指示が出た,とか真偽が定かではない噂も流れました。
結局,はらはらしながら見守るだけで避難はしなかったのですが,この間,実に悩ましい気持ちで過ごしたことを思い出します。奥さんからは重ねて「ねえ,大丈夫なのかなぁ」と尋ねられて最後は「俺に聞かれたって専門家じゃないからわからないよ!」と暴発してしまい,夫婦仲まで悪くなった数日間でした。
* * *
話を原発に戻しましょう。
3月17日,地震と津波発生から6日目の朝,陸上自衛隊のヘリコプターCH47三機による海水投下ミッションが行われました。
「飛び立ったへりは,機体の底部に放射線から防護しようとタングステンの床板が張り付けられ,機体の内側は合成樹脂の板で密閉している。隊員たちは通常装備の上に防護服と鉛の入ったジャケットを着こみ,さらに防護マスクをかぶる重武装だった」(本書144ページ)
この作戦は,国民や海外に向けてのデモンストレーションの意味合いもあった,と本書にはのべられています。
「空からの投下よりも地上から接近して放水した方が,実ははるかに命中確度は高かった。しかし,それでもヘリによる投下は意味があった。日本政府が初めて本腰を入れて原発事故に対処している様子を,テレビ映像という具体的な形で世界に示すことができたからだった。やっていることを見せる。そんな演出的な効果を狙ったヘリによる放水作戦だった」(本書146ページ)
そして同じく3月17日,午前7時に内閣総理大臣から東京都知事に対して,福島第一原発への東京消防庁ハイパーレスキュー隊の派遣要請があり都知事が受諾します。翌18日午前3時,特殊災害対策車を含む30隊139名が出動。翌19日(地震発生からちょうど一週間後です)午後2時5分から同隊は巨大な放水能力をもつ消防車(スーパーポンパー)で連続放水を開始。この連続放水は翌日午前3時30分すぎまで約14時間続きました。総放水トン数は約2,430トン。胸の前で両手を合わせ,まさに祈りながらその様子を見守っていたことを今でも鮮明に思い出します。とにかく冷やし続けることをやめたら破滅が待っている。電源が復旧しない中,アナログ的だろうがなんだろうがジャージャー水をかけて冷やすしかない。がんばってくれ…。
日本海海戦の際,連合艦隊参謀秋山真之が起草した名文「皇国の興廃此の一戦に在り」ではないですが「我が国の存亡この作戦にあり」。まさにそんな空気の中の出動でした。
このハイパーレスキュー隊の活躍は,人々の心に鮮烈な印象を残したようです。あれは春期講習中だったと思います。当時,塾で担当していたある男の子から休み時間に声をかけられました。
「先生,僕,将来なりたいもの決まった!」
実は彼とは,震災の前,いつくらいだったでしょうか
「○○君は将来どんな職業に就きたいの?」
「うーん。わかんない。今は特別無い…」
「そうなのか。お医者さんとか,学校の先生とか,ロボットを作りたいとか,国際宇宙ステーションに行きたいとか,そういうのはないのか」
「うん。別に…」
「早くなりたいものが見つかると良いよね。そうすると努力もしやすいと思うよ」
というような会話を交わしていたのです。
「おお,そうか。何になりたいんだい?」そう聞き返す僕に,彼の答えは「東京消防庁のハイパーレスキュー隊!」
それを聞いた瞬間,突如熱いものがこみあげてきて,僕は思わず天井を見上げてしまいました。歳を取るとともにすっかり涙腺が緩くなってしまい,図らずも涙がこぼれそうになってしまったのです。彼は心配そうに「変?」と尋ねました。僕のその不意に天井を見上げる,というリアクションが「ダメ出しをされた」と思ったのかもしれません。僕は「いやいや全然変じゃないよ。それじゃ,勉強だけじゃなく,体力もつけなくちゃ,だな」と返すのがやっとでした。
* * *
地震発生から一週間後のこの頃には,少なくとも東京という都市は落ち着きを取り戻していたような記憶があります。懸念された計画停電も23区のほとんどでは実施されず,電車の間引き運転も,その後は思ったほどでもありません。しかしお隣の千葉は大変でした。当時,家庭教師で市川や松戸のご家庭も訪れていたのですが,こちらでは有無を言わさず時刻になると電灯がパッと消える。飲食店を営んでいる知人は困り果てて「仕事にならないよ」と嘆いていました。僕も慣れないうちは,コインパーキングに車を停めたら計画停電でフラップ板が上がらなくなって(しかもその間の分は駐車時間に加算される)往生したことがありました。千葉にお住いの方たちからは「東京だけ,ずるい」と恨みの声も聞こえてきて「すみません…」「あ,いえいえ,先生には何の責任もないですから…」なんて気まずい会話を交わしたり。
ちょうどこのハイパーレスキュー隊が放水しているとき,所用があって渋谷の街を訪れました。帰りに渋谷駅までセンター街を通って行ったのですが,そこでは普通にカラオケルームやゲームセンターから出てくる若者に出くわしました。その時は(ああ,余裕があるなあ)くらいにしか思わなかったのですが,今思い出すととても不思議な感じがします。方や,固唾を飲んでレスキュー隊の放水を見つめている人たちがいる。しかし他方,ふだんと変わらぬ生活を送っている人がいる。のん気,とその人たちを非難する気はまったくありません。その人たちは単に状況を知らされていなかっただけの話で,実際に国の存亡の危機であることが分かれば,カラオケやゲームセンターには行きはしないでしょう。
では政府は国民に対し,すべてをつまびらかにすべきだったのでしょうか。政府が情報を握りつぶして国民に周知させなかったことを,今になって責める人がいますが,果たしてどうなのでしょう。僕自身は,その問いに確信をもって「伝えるべきだった」と答えることができません。そんなことをすればおそらく日本中がパニックに陥ったことでしょう。西へ向かう東名や中央高速は大渋滞,新幹線は通勤ラッシュ並みの混雑,円はたたき売られ国債は大暴落,日本経済は壊滅的な打撃を受けたことでしょう。首都圏在住の3000万人の一斉避難。その可能性が多分にあるので各自準備されたし,と政府が呼び掛けていたら…。日本人のように付和雷同が激しい国民にいつでもありのままの情報を全部知らせることがはたして正しいのかどうか,議論の余地はある気がします。
暴走に暴走を繰り返した福島第一原発の3つの原子炉と2つの燃料プールですが,ようやくこのころから落ち着きを取り戻します。まさにこの自衛隊機からの水投下とハイパーレスキュー隊による放水,という極めてアナログなやり方が功を奏したことは間違いありません。もちろん,原子炉の崩壊熱も,10日たつと運転時の0.2%,停止直後の5%程度に減少しますから,熱源そのものが衰えていくことも大きかったでしょう。ハイパーレスキュー隊が出動した3/17から東電は電源復旧作業に取り掛かり20日に2号機,21日には3号機が外部電源とつながりました。その後紆余曲折はあったものの,4月半ばにはようやく冷却水循環システムが復旧しました。こうして福島第一原発の暴走に端を発した東日本滅亡の危機はすんでのところで去っていきました。後の解析で,1~3号機では相当量の燃料棒が解けて炉心の底にたまっていたことが分かりました。それはいつ再臨界を起こしてもおかしくない量と状態だったそうです。再臨界が起きれば,減退していった崩壊熱は再び運転時同様に跳ね上がり,溶けた燃料は今度こそ炉心の底を突き破って大規模な水蒸気爆発を招いたでしょう。まさに,危機一髪の状態だったのです。
(5)東電の不作為
さて,実はここまでは前置きで,ここからが本論です。今回のブログで自分の思いを述べるにあたり,当時の状況をもう一度整理しておいた方がいいのではないか,と思って震災発生から原発が危機を脱出するまでの間の出来事を,時系列順にまとめようと思いました。しかし,書き出すと,当時の自分の抱いていた思いも溢れてきて,ついつい冗長になってしまいました。お読みの方は「いつになったら『我が国の教育の敗北』に話がつながるのか?」といぶかしく思われたかもしれません。
今回の原発の事故の発生原因はひと言でいえば,全電源喪失という事態を招いたことです。東電は,事故直後も,そして一年以上たつ今も「想定を超えた大地震と大津波に襲われた」ことが原因だという主張を曲げていません。むしろ被害者である,というトーンが読み取れます。しかし,それは事実に反する,と僕は思います。
これは「メルトダウン」が著わされる前からネットなどで取り上げられていたことですが,東電と経産省は「全電源喪失」については,事前に部外者から警告を受けてもいますし,「大津波」に関しては,東電自身がその可能性を想定していました。
まずは大津波について。ここからはまた「メルトダウン」の該当箇所を引くことにしましょう。
「東電の原子力設備管理部の土木調査担当者ら3人は,震災が起きるつい4日目の3月7日月曜日の夕刻
,所轄官庁である経済産業省の原子力安全・保安院を訪ね,小林勝耐震安全審査室長に従来の想定を超える大津波が襲来する可能性があることを告げていた。このとき『取扱注意 お打合わせ用』と記された3枚の資料を東電の3人は持参している。明治三陸沖地震と貞観津波という二つのシュミレーション結果が記され,最大で10メートルを超える津波が襲来し,陸地では波高が12mまでせりあがる,と書かれていた」
「東電が巨大津波の想定を始めたのは,東日本大震災による津波被害を受ける3年前の2008年のことだった。東電はこの年の4月,マグニチュード8クラスの明治三陸沖地震をもとに津波の規模を想定しなおし,遡上高で最大15.7メートルの巨大津波が襲う可能性があるという試算をはじき出していた」
「当時の原子力閥のドンだった副社長の武黒一郎にもこうした一連のシュミレーションの結果が報告されている。それなのに武黒からは特段の指示はなかった。政府のまとめた『地震活動の長期評価』はその知見が確定していないので,直ちに設計に反映させる必要はない―原子力村の幹部たちはそう考えたのだった」
「2009年6月には,経産省の総合資源エネルギー調査会の原子力安全・保安部会の会合で,産業技術総合研究所活断層・地震研究センター長の岡村行信が,貞観津波の故事を引き合いに出して『まったく比べ物にならない非常にでかいものがきているということは分かっているのに,東電の想定が,そこにまったく触れられていないのはどういうことか』と詰問している」(本書31~33ページ)
全電源喪失についても同様です。
「原発の安全性チェックをつかさどる経産省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は,このほんの10か月前,共産党の吉井英勝衆議院議員から『原発の送電塔が倒れ,自家発電のディーゼル電源も断たれた場合にそうするのか』と国会で問いただされると,『そういった事態が起こらないように工学上の設計,ほとんどそういったことはありえないだろうというぐらいまでの安全設計をしています』と答えていた」
「原発の耐震設計審査指針を定めてきた原子力安全委員会の斑目委員長も同様だった。彼は東大大学院教授だった2007年2月(中略)非常用ディーゼル発電機が起動しない事態を問われると『そのような事態は想定していない。そんなことは割り切らなければ,設計なんてできない』と言ってのけていた」
(本書47ページ)
僕はリスク管理の専門家ではもちろんありませんが,この原子力行政のトップの二人が言っていることはめちゃくちゃだということくらいは分かります。例えば,原子炉格納容器を隕石が直撃する。これは可能性はゼロではありません。きわめてわずかながらその可能性はあるでしょう。ではそれにそなえて,原子炉格納容器やタービン建屋を,隕石の直撃にも耐えられるような堅牢な作りにするか。これはノーであることは分かります。そんなリスクに対応しようものなら,社会全体に莫大なコストがかかってしまって,それはキリがありません。要はコストとリスクのバランスの問題でしょう。しかし津波とそれによる全電源喪失は違う。これを「想定外」というのは全く科学的ではない強弁です。
ちなみに,この国会で吉井議員に木で鼻を括る様な答弁をした原子力安全・保安院の長,寺坂信昭という人は原子力のエキスパートでもなんでもありません。
「不審に思った菅(総理)が保安院の寺坂信明院長に『あなた,原子力の専門家なの?』とたずねたら『いいえ,違います』という返事だった。寺坂は経産省キャリアの事務官で,このとき,たまたま院長に就いていたに過ぎない。東大経済学部を卒業して入省し,直近はスーパーなど流通業界を所管する商務流通審議官だった。この国の原子力行政のトップはそんなありさまだった」(本書82ページ)
なんともお寒い話だと思いませんか。
高い専門性が求められる行政機関のトップが専門畑出身でもなんでもなく,キャリア官僚がポストを順々に,まるでスゴロクのように2・3年で転々としていく。当然,専門的知見は育ちようがなく,そこでは自分の在任中,ひたすら問題が起こらないことだけが望まれ,何かリスクを取ってでも物事を改善しようという行為はあり得ない。そんなおかしな仕組みがこの国中に溢れている。「戦後70年の制度疲労」と言う言葉がよく使われますが,もう少し国の仕組み全体,統治の仕組み全体を見直す必要があるのではないか,と思っているのは僕一人ではないでしょう。
この原子力安全・保安院という組織の体たらくには,メルトダウンの筆者,大鹿靖明さんもかなり頭にきたようで,全編を通してかなり辛辣に批判されています。
「菅は(中略)海江田と同行してきた保安院の幹部たちを頼りなく思った。『秘書官たちが六法全書を見たのは当たり前だよね。全部の法律の条文がどういう規定かすべてを分かっているはずがないので,見るのは当たり前だよ。それよりもね,保安院なんだよ。専門的な知識があるはずなのは。それなのに私が聞いても理解できるような,なるほどな,というのがなかなか返ってこなかったのは』(本書43ページ)
「管の『どうなっているの?』『どうするの?』という問いに保安院の幹部たちは満足に答えれらない。管のご下問に対して互いに目配せして押し黙ったままだった」(同)
「管が質問すると,本来専門家である保安院の幹部職員は互いに目配せしてもじもじする」(本書82ページ)
「管は地下の危機管理センターにある小部屋に関係幹部を集めた。枝野官房長官,福山,寺田,細野,それに海江田経産相,原子力安全委員会の斑目委員長と原子力安全・保安院の幹部も姿を見せた」
「今後原発はどうなるのか―そこが政治家の知りたいところだった。『チェルノブイリやスリーマイルのような事故が起きそうですか』と福山が問いかけても,明瞭な返事は得られなかった。可能性はゼロではないという返事があったが,具体的なことはわからない。(中略) 何をきいても一般論のような返答しかないのだ」(本書51ページ)
「『どいつもこいつも,この程度かよ』―下村健一内閣審議官はそう受け止めた。(中略)『批判されても,うつむいて固まって黙り込むだけ。解決策や再発防止をまったく示さない,技術者,科学者,経営者』(本書116ページ)
放射性物質の拡散についても保安院の責任は重大でした。
「実は保安院はスピーディ(=緊急時迅速放射能影響予想ネットワークシステム)を使って放射性物質の飛散状況を予測している。(中略)すると放射性物質は海側ではなく内陸側に広範に広がることが分かった。それも原発から同心円状ではなく,浪江町や飯舘村方向に北西に広がっていく,かなり広範囲に放射性物質が撒き散らされる予想を示したものだった」
「極めて重要なデータだったが,菅を初め,官邸の高官たちにはそうした情報は一切もたらされなかった」
「保安院がスピーディを適切に活用できていれば,福島第一原発周辺の住民の大量の放射線被曝は避けられたはずだった。しかし経産省のキャリア官僚たちは,そういう問題意識が微塵もなかった」
「後になって保安院の森山善範原子力災害対策監は,ほとんどのデータが保安院内に退蔵され,住民避難にまったく活用されなかったことについて,『思い至らなかったのです』と釈明した。日本の最高学府を出て政府に勤める男たちは,国民の安全に供する当たり前のことに,遂に一度も思い至らなかった」(本書76ページ)
本当にお寒い話ですね。
話をこの事故の責任論に戻します。
上にのべたように,東電と原子力安全・保安院は,十分に大津波が襲来することや,全電源喪失に至る可能性を知っていた。にも関わらず何ら具体的な対処をしなかった。なぜなのだろう,と思います。以前も書きましたが,彼らは学問的エリート集団のはずです。学歴上,実に華々しいキャリアを持つ人たちの集まりで,その「専門知」の集積は「無知」とは対極にあります。言ってみれば自分の持つ専門的知見を活かすことが彼らの仕事のすべて,と言っていいはずです。しかしそれをしなかった。
そこに悪意はあったのか。つまり自分の不作為が重大な結果を招くことを十分に認識しながら何も行わなかったのか。刑法でいう「未必の故意」というやつですね。舌鋒鋭く東電や原子力安全・保安院を批判する人々の一部は,そう断じています。このメルトダウンの著者もその一人と言っていいかもしれません。つまり「知っていたのに『握りつぶした』」という解釈です。
別に東電や原子力安全・保安院をかばうわけではありませんが,僕はどうもそこまで彼らが悪意に満ちていたとは思えない。
ではいったい,何が彼らをして「分かっていたのに何の対策も取らない」という不可思議な行動を取らしめたのか。先日まとめられた,国会事故調の英語版報告書は,事故の原因は日本人に染みついた慣習や文化にある,と批判して話題を呼びました。いわく,権威を疑問視しない反射的な従順性,集団主義,島国的閉鎖性,など。ほう,そこまで踏み込んで表現したか,と思いましたが,それらの「国民性」に加え,彼ら(東電や保安院の事故当事者)をはぐくんできた教育に落とし穴があったのでは?と考えるのは発想の飛躍でしょうか。
私たちはふだん,紙の上で生徒たちと対峙しています。こちらは紙の上で問題を出し,彼らはそれ答えて解答用紙に表現する。合っていれば○。間違っていれば×。希望の学校に受かるためには,○の数をできるだけ増やし,×の数をできる限り減らす… 当たり前ですね。しかしその営みは,やがてどうしても「身の回りのリアルな現実」と乖離していく。
例えばこんな算数の問題があります。
「ある仕事を6人が一日8時間ずつ行うと10日間で仕上がります。この仕事を一日8時間ずつ行って6日間で仕上げるためには,□人で行う必要があります」簡単なのべ算の問題で答えは10人ですが,これって嘘ですよね。6人が延べ80時間で行う仕事量と10人がのべ48時間で行う仕事量は現実には=(イコール)ではありません。人が多くの人数で物を持つと一人一人の持つ力は減るのと同様,携わる人数が多いと自然にペースを落とすので,トータルの仕事量は前者>後者になります。
あるいは流水算。下流から上流に行くとき見かけの速さは船速と川の流れの差になり,上流から下るときは船速と川の流れの和になる。これも嘘。というか流体力学の専門家に言わせると,事はそんな単純な話ではないそうです。「お前たちが塾で教える変な公式,研究室に入ってくる学生がみんな信じてるぞ。嘘を教えるんじゃないよ」と叱られたことがあります。
しかし,「これはそういうものだ」と私たちは生徒に教えている。いやそれだけならまだいいのですが,これらのことに素朴な疑問を抱く生徒を疎ましささえ感じるようになる。実際にはいるんです。「先生,川のどこを通るかによって速さって変わってくるんじゃないの?」ととても鋭いことを言う生徒が。しかしそういう発想は「受験に邪魔」で「ダメな発想」とされる。職員室でこんな会話が聞くことがあります。「あの子ダメだよね。つまんないことばっかりこだわってる。川のどこを通っても速さは変わらないのは変だとかさ」「ああ彼ね。そんなこと言ってないでさっさと問題解けってこの間叱ったんだけど」なんて。本当の「知」とはあくまでも現実の世界とつながっていなければいけないのですが,「紙の上の算術」と現実が断絶してしまっている。
これがひとり塾だけの問題ならばまだよい。彼ら彼女らが進んだ中学高校できちんと「生きた知識」を学んでくれるのであれば。しかし,上で挙げたようなことは,中学になっても高校になっても同じように繰り返されている気がしてなりません。今度は「中学に入るため」が「大学に入るため」に変わるだけで。「学問を学ぶ」ことが「単に短い時間にどれだけ多くの問題を解けるか」というタスクをこなす競争に変質してしまってはいないでしょうか。
東電や原子力安全・保安院の人々も,机上で検討して「でもこれはあくまでも計算上だから」と放っておいたんでしょうね。そして終業時間になったらそのままほかの書類と一緒に机の脇に積んで家路についてしまった。「なんだか変なシュミレーションしちゃったな」という後味の悪い思いをして。
事故調でも「検討はしたものの,それはあくまでペーパーワークでしかなく,そもそも本格的に対策を施そうという目的の下に行ったものではなかった」と支離滅裂な言い訳をしています。
(6)なぜ福島第一原発では非常用電源が地下に設置されていたのか
しかしこの東電と原子力安全・保安院の不作為以上に,本当に唖然としたのは,昨年の6月に読んだ新聞記事でした。お読みになった方もたくさんいると思うのですが,なぜ福島第一原発で非常用電源を地下に設置したのか。その理由を報じた記事です。
40年前,福島第一原発一号機の設計に際して,東電は非常用電源を地下に設置しました。この機器は特に地下に置かねばならない制約はありません。海に臨んでいる福島第一原発では,もし津波が防潮堤を超えて押し寄せてきたら,地下にある機器は水浸しになります。これほど当たり前の話はありません。海辺に建っている建築物で,水に濡れたらお釈迦になってしまうものを例えば3Fと地下とどちらに設置しますか?恐らく子供でさえも答えは明らかなのではないでしょうか。
アメリカでは原発の多くは沿海部ではなく内陸部にあります。川に面して建てられていて,川の水で熱交換をしているのですね。アメリカ中南部は原発がきわめて多く(日本でいう福井県のような感じでしょうか),ケンタッキーやフロリダ,ジョージア,アラバマ,ミシシッピー,サウス&ノースカロライナなどの中南部9州には33基の原発が存在します。(2005年時点) このあたりは台風銀座ならぬ「ハリケーン銀座」。アメリカのハリケーンは時として風速100m近い猛烈な暴風が吹く。そしてまた,ミズーリ・カンザス・テキサス・ネブラスカなどの中西部はトルネード(竜巻)の発生の多い地域で,これもまた,大型のトラックが宙を舞うような暴風が猛威を振るう。そんな環境下で建設される原発です。よくアメリカの映画やTVドラマでトルネードに備えて地下のシェルタに避難する様子が描かれますね。この辺りの家屋は普通に避難用の地下室がある,ということを聞いたことがあります。ハリケーンやトルネードの進路にあたっても原発はスタコラと逃げるわけには行きませんから,なんとかやり過ごなねばならない。そのときに備えて非常用電源は地下にあるべきである,というのは極めて自然でよく分かる理屈です。
それを福島第一原発は,盲目的に真似ました。本国アメリカのようなむちゃくちゃなスケールの竜巻や超大型台風が襲来しづらい福島県で,しかも海に面した原発で,虎の子の非常用電源を地下に設置した。
この結果、福島第一原発1~6号機の非常用発電機計13台のうち、主要10台が地下1階に集中。津波の直撃を受けて水損を免れたのは、6号機の1階にあった1台だけでした。
「これって…」記事を読んで僕は絶句してしまいました。
自分の頭できちんと考えずに,とりあえず解いてみました,みたいな答えを子供が出すと,僕たち講師は怒ります。小学生だと,似たような問題で÷6をしてたから,という理由(他愛もないですね)で全然違う問題なのに÷6を平然としたりします。6なんて問題文の中のどこにも登場しない。「ね、6ってどこから出てきたの?」と聞くと「えっ,この間解いた問題で,÷6してたから」なんて。「だめだっ!そんなことしちゃ!!」と声を荒げると,生徒はびっくりします。そんな重大な違反をしている意識はないからなぜそれほど強く怒られるか分からないのです。気の弱い子なんてウルウルしちゃったりする。でもこの考え方は絶対にダメです。本人が知恵を絞って,自分の頭で考えたのなら,相当トンチンカンでも怒りはしません。しかし,とりあえず他で解いて合ってたから,何だかわからないけど同じ計算をしちゃおう,的な解き方は絶対にやってはいけない。
もっと言えば,下位の子がそんな安直な解き方をしても,さほど怒りませんが,仮にも上位生がそんなことをしようものなら,僕らは烈火のごとく怒ります。「そんな解き方をして恥ずかしいと思わないのか。そんないい加減な解き方しかできないのなら受験なんかやめちまえっ!!」とか言って。
利発な子,上位校を狙う子こそ,しっかり自分の頭で考えてほしいのです。そういういい加減な勉強をしていると上位校には決して受からない。第一,受験で受かる受からないよりも以前に,賢い頭を持っているのに安直なコピーでしか解こうとしないなんて,才能に対する冒涜です。
福島第一原発で非常用電源を地下に設置した理由。それは「アメリカがそうだから」。なんと情けない話でしょう。それじゃあ,全然違う問題なのに,この間÷6してたから今度も÷6してみよう,と考える小学生と同じではないですか。
何度も何度も使っているフレーズですが,またまた使わずにいられません。学校教育の世界においてエリート中のエリートである彼らがなぜ事故を予見できなかったのか。(起こりうることをリアルに認識しその対策をきちんと施す,ということを「予見」という言葉の正しい意味だとすれば)また,なぜ「アメリカで地下に設置しているから福島でも地下に…」という安直この上ない考え方をしたのか…
これはやはり,私たちが進めてきた,そして私たちが受けてきた教育の在り方,受験の仕組み自体に大きな「穴」があったのではないか。そんな気がしてなりません。今までのわが国の高等教育機関の入試制度は,とにかく知識を詰め込み,紙の上の計算が正確にできていれば良し,とされてきました。その知識の総量と正確性で受験生に序列が付けられる。かたや学校の方にも同様の序列づけがあります。トップに東京大学があり2位に京都大学があり,その下に旧帝国大学があり,そしてさらにその下には旧ナンバースクール・官立大学(旧3商大,3工大,2文理大)等,かつての国立一期校がありその下に旧二期校があり…。受験生は,その成績の序列と大学の序列を対応させて割り振れられていく。そこには真の意味の問題解決能力は全くと言って要求されない。
しかし,そうしてランキング最上位クラスの大学を経てきたはずの学問エリートは,現実の前にかくも無力でした。この「メルトダウン」を読んだ直後,「我が国の教育の敗北」というフレーズが浮かんだ理由はまさにここにあります。
官邸で今回の事故の処理にあたった内閣審議官である下村健一さんが,いみじくも次のような言葉を残しています。
「みんな学校秀才なんだ。学校の先生が試験に出すと予告した範囲内では必死に勉強して100点は取れるけれど,少しでも範囲外だと0点なんです。想定を超える事態にまったく対応できないんです」(本書95ページ)
僕は一介の塾講師にすぎません。自分自身を教育者だとは思ってはいません。しかし現実に裾野の部分で教育に携わっている。その子供と日々向かい合っている人間として,今回の事故が胸に突き刺ささりました。「この原発事故を機に大きくパラダイム・シフトをしなくてはならないのではないか。そうしなければ,これを機会に変わらなければ,またいつか同じことが繰り返されるのではないか…」そんな漠とした不安に襲われたのです。
(7) 終わりに
ようやく,このやたらと長い駄文も結びにきました。
いやあ,大変と言うか,書き始めて,とんでもなく身の程知らずの行いだった,と猛省をしました。一時はすでにアップした(1),(2)も削除してしまい,塾屋は塾屋らしく受験のことだけに改めて特化しようか,とも思いました。ちょうど問題集の原稿書きの締切とも重なってしまい,それが片付くころに国会事故調の報告書の発表があると聞きではそれを待つことにしよう,と考え,そんなことをしているうちに今度は夏期講習に突入してしまい…なんと,前回から3か月もアップしないまま今日にいたってしまいました。もう懲りました。
今,全体を読み直してみて,自分の言いたいことが皆さんにきちんと伝わるのか,はなはだ心もとない気がします。しかし,せっかくここまで書いたのですから,ちゃんと結びを書き,ひとまず残しておこう,と気を取り直して,再びパソコンと向き合うことにします。
最後に,これからの教育機関・政治家などの行政に携わる人・原子力行政に望むことを書いてそれを結びに代えたと思います。
先ず第一に教育機関に望むことはただ一つ。真に科学的思考をできる人間を育ててほしい,ということにつきます。言い換えれば,本当の意味での問題解決能力を養成してほしい。
これを実現する方法はただ一つしかありません。それは東大・京大・東工大・一橋大などの国立難関大学が入試のシステムを変えることです。単に問題を解くスピードと正確性,知識の総量を競うのではなく,きちんと自分の頭で考えなければ解が出せない問題を課す。論述化するとか,プレゼン能力がどうこう,ということではありません。その程度の改変はまだ「小手先」にすぎません。もっとドラスティックに,「自分の頭できちんと考え,想像力を働かせ,科学的に考えないと答えが出ない」問題を課す。
するとすぐさま,こぞって上位進学校や予備校はその入試に対して対策を練るでしょう。日本人の,その辺りの情報収集力と対応策を構築する能力はすさまじいものがありますから。しかし,できたらそんな小手先の対策は一切通じないような骨太のタスクを課してほしい。
我が国の進学校においては,良し悪しは別として,何といっても上位大学合格実績が絶対的な評価基準になっています。大手新聞社は「単に大学合格実績のみで高校を序列化するのはいかがなものか」などと紙面で言うものの,系列の週刊誌では競って高校別の大学合格実績を載せる。そしてそれは普段の号の何倍も売れると言う。このあたりは完全な二重基準ですよね。
私立の高校は,生徒が集まらなければ最終的には学校法人を解散して廃業するしかありませんから,保護者の関心が高い分野に資本と人的資源を投入することになる。このあたりは民間のサービス業と一緒です。いくら矜持があったとしても売れなければ(入学者がいなければ)やがて店をたたむしかなくなってしまう。人間,霞を食って生きてはいけないですから。
われわれ塾や予備校は,もっと現金です。サービス業ですから,それこそ消費者の望むことを忠実に行うしかありません。いくら「受験で燃え尽きない真の学力の養成」を掲げたところで,そんな美辞麗句では入塾者は増えないものです。サピックスがそう謳っているのはフロントランナーとしての地歩を固めることができたからこそ,です。「受かった後のことはその時に考えるから,今はとにかく入試で一点でも多くとれるようにしてくださいよ」というのが塾に通わせる保護者の方々の本音でしょう。私たちが面談や父母会で「そんな考え方をしていると,中学に入った後困ることになる」といくら言ってもまるで手ごたえがありません。
分かりやすく言えば,東大・京大等の難関大学は「恐竜の頭」だと思っていただければいい。頭が南を向けば,胴体からロングテールまで一斉に南を向きます。東大・京大などがそのように入試の形態を変えれば,下は私立小学校の入試に至るまで,必ず号令一下よろしく問題解決能力の有無を見極める仕組みに変わるはずです。
もし入試制度改革がすぐには無理なら(入試が点数化しづらい,ということは採点者の恣意的な判断が入り込む余地がある,ということになります。それが最大のネックとなりますね)入試はとりあえず今のままで構わないから,入った後に問題解決能力がなければ単位を認めない,ということを徹底する。すると優秀な我が国のメディアは,高校ごと(あるいは予備校ごと)の,卒業者(単位取得者)数や率のランキングを作ることなど朝飯前でしょうから,否応なくその観点での競争が激化していくはずです。
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政治家の皆さんには,何よりも私たち国民の安全を第一に考える施策を立案・実行してほしいと思います。民主党は「官僚支配からの脱却」を掲げましたが,議員自身は多忙を極める中で,高度に複雑化・細分化した仕組みのディテールまでを把握する余裕はないはずです。専門的で枝葉の部分は官僚に任せて,判断すべき事柄を責任を持って決断する。それこそが政治家の役割でしょう。官僚を目の敵にするのではなく,官僚をきちんと使いこなすことを考えてほしいと思います。
議員の方々優秀な人ばかりですし,僕はちまたで言われるほど腹黒い人たちばかりではない,と思っています。基本的にはみな,日本という国をよくしたい,という思いで政治に携わっているのでしょう。我々は,正直,日々食っていくのに精一杯で,政治的な問題を深く考えたり議論する余裕はありません。僕自身も,原発やTPPや税と社会保障のあり方を考えることは大切なことだと思いながらもそんなことを調べる時間があるのなら一問でも多く算数の問題を解きたい,と思います。ほとんどの方は皆そうでしょう。今日を暮らし,明日を生きることに精一杯のはずです。だから間接民主主義をとって政治の専門家に針路を託している。何も難しいことを言う気はありません。「この国を良くする」という信念と責任感さえあればいい。議員報酬を減らすとか特権を返上する,という議論がかまびすしいですが,僕は本当に能力と信念があれば,年収1億あったっていいと思っています。ただし政治のプロとして恥じない行動をとることを今以上に厳しく求められるでしょうが。
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今後の原子力行政については,政治同様,「安全」を唯一絶対的な尺度として規制にあたってほしいと思います。原子力安全・保安院はまったく張子の虎で,東電を初めとする事業者にいいように操られていたことが今回の事故で明らかになりました。まったく腹立たしいことですが,それに気づかず放置していたのもまた私たちです。
いま「脱原発」が大きなうねりとなっていますが,率直に言えば,僕自身,今後原子力発電をどうすべきか,結論が出せずにいます。
もちろん,原発を使わないで済めばそれが理想でしょう。しかし,風力や地熱,太陽光などの自然エネルギーはコストがかかりすぎてすぐにはシフトはできません。中国やインドなどの新興国の経済成長を考えれば,鉱物性燃料の価格が今後下がることは考えづらく,もし原発を停めてしまえば発電コストは高止まりし,日本のものづくりに致命的なダメージを与えることになるでしょう。昨年,鉱物性燃料の輸入額が増加したことで我が国は31年ぶりに貿易赤字国となりました。このまま経済収支が悪化すると国債を国内で消化できなくなりかねません。となるとギリシャ・イタリア・スペインの二の枚です。
ただでさえ円高に苦しむメーカーは電力コストを価格に転嫁することもできず,結局賃下げや人減らしでしか対応できないのではないでしょうか。知人の町工場の社長は,声を潜めて「原発反対は良いけど,電気代はどうすんのよ。デモやってる人はそのあたりのことを考えてくれてんのかね」と言っていました。まさに本音でしょう。
先日,経団連が将来(2030年)の原発比率ごとの我が国経済への影響をまとめました。もし原発依存度0%なら,GDPは最大で45兆円(約1割)減少,家庭の電気代は現在の2倍の年間25万円,世帯当たりの可処分所得は今の年間516万円から460万円にダウン,失業者数は現在の約300万人から500万人弱になる,というものでした。もちろん,これは原発を強力に後押しする経団連の算出した数字ですから,相当差し引かねばなりません。しかしそれにしても,かなりの経済を押し下げる圧力になることは間違いないでしょう。私たちにその覚悟はあるのでしょうか。
泊原発が停まったとき,アノラックを着,プラカードを持って気勢を上げる人たちがテレビに映し出されていました。シャンパンだかワインだかで乾杯をし,蛍の光を合唱していましたね。あの方たちは,上に記したようなことをどこまで深く検討をされていたのでしょう。「原発は反対,でも生活は変えたくない」は無理なのです。僕自身の政治感覚はどちらかというとリベラルで,新自由主義は性に合いませんし,今まで保守を標ぼうする政党に投票したことはほとんどない人間です。しかし,一部の政党のポスターにあるような「今すぐ原発ノーという声を上げよう」というようなメッセージには懐疑的にならざるを得ません。全体像を見ずにある部分のみを取り出して判断することは,やはり非科学的である,と思うからです。
さりとて今回の福島第一原発の事故のような稚拙なリスク管理や規制の方法では,私たちには,とても危険な核エネルギーを使いこなす資格はありません。こんな杜撰な管理や規制がどうして何年もまかり通っていたのか。今までのような「事業者性善説」を捨て,「事業者はごまかそうとする,法の網の目をくぐろうとするものだ」という「性悪説」に基づいて規制をする必要があるでしょう。東電をはじめとする電力会社の人は「性悪説」というと気色ばむかもしれませんが,あの事故の後でも「値上げは権利である」と言い放ったセンスの持ち主です。そう見られても仕方がないではありませんか。
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最後に私たちです。
まずは事故以前のような野放図な電気の使い方を改めることは必須でしょう。トイレのジェットタオルに代表される不要不急の機器の数々,町中に溢れる自動販売機(知人の米国人は日本に来てもっとも印象深かったのはという質問に間髪入れずに「ベンディングマシーンの数だ」と答えました),半径500m圏に3軒も4軒もあるコンビニエンスストア.,どのチャンネルを回しても同じようなバラエティ番組を流している深夜テレビ,そしてそれをなんとなく観る生活… 日本という国の経済,ひいては私たちの生活を守るために減らすことが難しい言わばコアの電力と,国民のちょっとした努力によって減らせる電力に分け,節電努力を続ければ,今54基ある原発は少なくとも15~20基くらいは減らせるのではないでしょうか。そうすれば耐久年数を前倒しにする形で古い原発を停めたり,「疑わしきは稼働せず」で活断層が近辺を通っている発電所を半永久的に停止することができるでしょう。1990年のバブル崩壊からこの方,GDPはほとんど増えていないのにも関わらず家庭とオフィス・店舗の電力使用量はともに1.7倍に増えている(東京国際大学・武石礼司教授調べ)。産業用の電力使用量はほぼ横ばいです。このことを私たちは重く受け止めねばなりません。
そして,何よりも子供たちに「科学的に考える」「自分の頭できちんと考える」ということを,私たち周囲の大人は教えていくこと。今回のことで,結局借り物の知識は役に立たない,ということが分かりました。「今まで□□だったから今後も□□だろう」「皆が□□というからきっと□□だろう」「□□だと困るから□□にはならないに違いない」「□□の可能性はあっても,それはきっと遠い将来だろう」という,非科学的な思考をしては危険なのだ,ということをことあるごとに伝えていかねばなりません。
300年後,500年後,1000年後,「2011年3月11日に起きた東日本大震災とそれに伴う原発事故が日本国民の意識を大きく変えた」と後世の歴史書に書かれるようなパラダイムシフトをすることこそ,この美しい日本の国土を放射性物質で汚してしまった「2011年3月11日に生きていた」私たちの責務ではないでしょうか。