傾聴ワークで、私には生きる上での価値観がないのか、
という点を聴いてもらったんだけれど、
ちょっと重すぎて深すぎて、答えは出なかった。
でも、かなり気持ちの整理はしてもらえた。
私はたぶん、独特の死生観をもっているんだろうと思う。
幼少期の入院では「死」はすぐそばにあったし、
身近な人が亡くなった時に
「死」はなんて絶対的なものなんだろうと、感情が止まったように感じた。
だから、できるだけ人の心を乱すことなく、逝きたいと、
死ぬ、というより、できればいつのまにか消えたい、と思ってる。
自分は生かされている、と知っているけど、
同時に、今私は自分の意志で生きているんだ、と思ってる。
死ぬことは少しも怖くないし、いつ死んでも構わないと思ってる。
傾聴の先生が書いてくれたメモを、家に帰って読み返しながら、
少しづつ、気持ちを整理してみた。
そうしてまず出てきたのは、
あの質問で人生の価値観がわかる、ってほんと?ということ。
答えが出てこない私はおかしいわけじゃない。
人生を投げやりに生きているわけでもなく、
むしろ生きることが好き。
答えが出なきゃいけない、って思いこんでたかな。
それから、
もしかしたら人の評価は必要ないのかな?ということ。
誰かのために生きているわけじゃないから、
死んだ後に、どんなことを言われたいかとか、
私にとっては、意味のないことのようで。
(もちろん、悪くは思われたくないけどね(^-^;)
そして最後に気づいたことは、
私にとって大切なのは「生きる」ことそのもなんだ、ということ。
生きるために生きている。生きている実感を味わうために生きている。
とても観念的だけれど、それがわかった時に自然と涙があふれてきた。
だから、私が死んだあと、
私はきっと、みんなにこう言ってもらいたいんだ。
「ああ、生きてたんだね」って。