一九六四年十月八日午後四時三十分。鹿児島を出発した第一コースの聖火が調布市内に入った。府中市からの引き継ぎ地点は、現在の「味の素スタジアム西」信号のあたりに設けられた。
 調布市内を三区間に分けたうちの第一区間。トーチを持って走るのは中央大学二年の大塚一郎さん(当時十九歳)。小雨そぼ降る秋の夕暮れに、聖火の炎が光り、煙を吐いていた。
 当時の本多市長ほかお歴々の手を介して、聖火の引き渡し式を済ませると、白バイに先導されながらトーチを高く掲げて走り出す。沿道で傘をさしながら見送る人の影が目に映る。けれど、にこやかに手を振りながら走るような時代ではない。
「ひじを下げるな。わき見をするな。会話をするな。この三つはきつく言われました」
 友人の声が聞こえても振り向かず、声も出さず、まっすぐ前を見つめ黙々と走る。
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 今度のオリンピックでも聖火ランナーとしてふたたび走ってみたいか、と大塚さんにたずねた。
「おれたちがいつまでも居座ってたら、次の世代へのバトンが途切れちゃう。聖火を持ちたい気持ちはあるけど、これから未来をつくる若い人に持ってもらったほうがいいでしょう」
 五十六年前の記憶をたどると、若者の背中を押してくれた人たちのことが頭に浮かぶ。未来を想像するのが楽しい時代だった。
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 およそ二・二㌔の一本道を十分足らずで駆け抜ける。次の走者が待つ、電通大正門前の交差点が見えてきた。(続く)

(『そよかぜ』2020年2月号/このまち わがまち)