十月八日、午後四時四八分。都立神代高校三年の堀江春洋さん(当時十八歳)は電気通信大学正門前で聖火トーチを握りしめていた。
 「どうやってトーチを受け継いで、だれといっしょに走って、だれに引き継いだか、ちゃんと覚えてないんだから困っちゃうね。合同練習で顔を合わせても、お互いに話し込むでもなし。連絡先を交換するでもなし。そういう時代だったんだ」
 調布市内を走る聖火リレーの第二区間は電通大正門から旧調布警察署(旧甲州街道が甲州街道に合流する地点。現在のトヨタ販売店のあたり)までのおよそ一・五㌔。高校のハンドボール部で活躍していた腕っぷしの強さを買われてか、体育の先生に聖火ランナーをやらないかと声をかけられたときには、こんな大役とは想像もしなかった。
 秋の夕暮れは早い。小雨が体を冷やす。ようやく遠くに聖火が見えた。
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 前回のオリンピックと今回のオリンピック。どこが違うと感じるか、と堀江さんにたずねた。
「当時はオリンピックが厳粛なものだと感じてた。選手たちもアマチュアだったから、人間の力ってすごいなと。いまは周りの雰囲気もお祭りムードに過ぎる気がする。やっぱりさ、平和なんだね、日本は」
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 先導する白バイは時速十二㌔を保って走る。堀江さんも前を見て走る。トーチを右手に持ち、左手に持ち、何度も高く掲げて走る。次のランナーも早く聖火の炎を見たいはずだ。甲州街道をまっすぐに駆けてゆく。(続く)

(『そよかぜ』2020年3月号/このまち わがまち)