十月八日、午後五時五分。隅田昇さん(当時十八歳)は旧・調布警察署前で聖火トーチを受け取ると、そぼ降る雨の中を少し急ぎながら走り出した。世田谷区との境にあたる仙川駅近くの有料駐車場(現在の仙川三差路付近)までのおよそ二・八㌔。調布市内を走る三区間のうち最長区間だ。
聖火リレー東京都実行委員会の聖火リレー実施方針では、聖火ランナーの走る速さは毎時十二㌔を標準とする、と定められ、そして聖火トーチの燃焼時間は十四分に設計されている。
トーチの燃焼時間以内かつ時速十二㌔で走るとなると、聖火リレーの一区間の最長走行距離は二・八㌔。つまり、隅田さんは全国でもっとも長い距離を走った聖火ランナーということになる。
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実はまだ、隅田さんに話を聞けていない。当時、都立小金井工業高校の三年生。資料を頼りに高校の同窓会や卒業後の就職先にたずねてみても現在の様子を知る人はなし。どうにかたどりついた当時の住所とされる旧地番は、その後に合筆分筆を重ねたか、すでに消滅していた。行方をたどる糸はぷつりと切れてしまった。
五十六年という歳月の遠さを思う。前回の東京オリンピックで、聖火ランナーとして調布市内を走った三人をたどる。それだけのこと、のはずが、調べれば調べるほど、矛盾、食い違い、誤認、勘違い、思い違いのオンパレード。反対から見れば新しい発見、思いがけない事実、たしかな理解の連続なのだけれど――。
記録と記憶の糸はいちど絡まると、なかなか解けない。だからこそ一本でもいい、たしかな糸をていねいにつむぎ、まだ見ぬ世代のために受け継いでいきたい。
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隅田さんが仙川有料駐車場に到着したのは遅くとも五時十九分。トーチの燃焼時間ぎりぎりだ。引継ぎ式を急いで済ませる。夕闇迫る甲州街道を赤く照らしながら、聖火はいったん世田谷区へ入り、およそ二十分後に三鷹市へわたってゆく。(続く)
(『そよかぜ』2020年4月号/このまち わがまち)