今月、三鷹市美術ギャラリー内に「太宰治展示室 三鷹の此の小さい家」が開設される。三鷹と太宰の関係はご存知の向きも多かろうから、ここでは詳しく言わない。本紙二〇一八年六月号でも太宰を偲ぶ桜桃忌を取り上げて、太宰の生き方を少し語っている。今回の展示室は常設展示のようだからお客さんとしてではなく、このまちの仲間としての太宰をもっと身近に感じられるようになればいい。
 一九三九(昭和十四)年九月に三鷹に越してきてから一九四八(昭和二三)年六月に亡くなるまでの約九年を「下連雀一一三」(旧地番)の借家で過ごした。
「小さい家」とは太宰自身が作品中でよく使っていたもので、借家はいまのことばでいえば賃貸。家の広さはおよそ十二坪というから、平米にして約三九㎡。三鷹市美術ギャラリーの説明文には、「新築ではあるものの、妻子と暮らすには十分とは言えない質素な借家」とある。わが家も賃貸住宅、広さもほぼ同じ。たしかに十分とは言えないけれど、太宰だって同じような暮らしだったのだ、と妙なところで胸を張ってみる。
 悩める天才は三九歳の誕生日を前に世を去った。このまちで暮らした時間の中で、「小さい家」までのいつもの帰り道。いまと変わらない空を見上げて、野川を歩いて、冬の風を吸い込んだにちがいない。

(『そよかぜ』2020年12月号/ひとやすみ)