今年の夏。店は休業、イベントは中止。同じことを繰り返し、効果を検証することなく右へ倣えの思考停止が幅を利かせて威張っている。「この国民にして、この政府あり」とは一九世紀イギリスのトーマス・カーライルの金言。ああ、自由に生きることの難しさよ。
* * *
一九六七(昭和四二)年、前回の東京オリンピックの三年後に野川の大規模な改修工事(流路変更)が行われた。祇園寺通りをわたす現在の大橋もその年に新たに架けられた橋のひとつ。
戦前までの野川はわずかに下流が改修された程度で、ほとんどが素堀りのまさに野川だった。戦後になると野川流域の市街地化が急速に進んだために、一九五六(昭和三一)年、ようやく改修工事に着手した。
野川の下流から上流へ向かって進む工事を急がせたのは二つの大きな台風だった。ひとつめは一九五八(昭和三三)年九月の台風二二号・狩野川台風ふたつめは一九六六(昭和四一)年六月の台風四号。いずれも野川流域に甚大な被害を与えたという。
現在の大橋は写真(上)の一年後に架けられた。だが、いくら想像を巡らせてみても素掘りの野川とコンクリートの大橋が結びつかない。改修工事前の大橋はどんな姿をしていたのだろうか。川岸の桜並木はすでにあったのだろうか。祇園寺へお参りする人は橋を越えただろうか。雨が降れば渡れないこともあっただろうか。資料がなければ現地を歩くしかない。(続く)
* * *
※緊急事態宣言中につき神津島行きの連載企画はお休みします。
(『そよかぜ』2021年8月号/このまち わがまち)