三鷹駅南口から武蔵境方面へ五分ほど歩くと、ちょうど三鷹車両基地が広がるあたりにその橋がある。正式名称を「三鷹跨線人道橋」という。一九二九(昭和四)年に架けられた歩行者専用の橋だ。
高さ約五㍍。階段を上ったところの手すりは腰ほどの高さしかないから、端に寄るのは腰が引ける。全長九三㍍。まっすぐに伸びる通路からは眼下に中央線が行き交う姿、遠くに武蔵野の市街地が見渡せる。幅三㍍。橋の骨組みは古い線路のレールを再利用したもので、当時の姿をいまも残している。
この橋をことさら有名にしたのは太宰治である。太宰が三鷹へ引っ越してきたのは一九三九(昭和十四)年。高いビルもない時代のこと、跨線橋から見渡す景色はさぞ広々としていたようで、三鷹を訪ねてくる友人らをよくこの橋へ案内した、とか。太宰ゆかりの場所として橋の階段下に案内板が設置してある。
建設から九二年。現在も利用されているのだが、今年の九月、この跨線橋の取り壊しが決まった。なにを残して、なにを変えるのか。このまちからまたひとつ記録と記憶が失われようとしている。
(『そよかぜ』2021年11月号/このまち わがまち)