青渭神社のケヤキの話である。
先月号では『江戸名所図会』から「社前、槻の老樹あり、数百余霜を経たるものなり」と引用したが、それより前の『新編 武蔵野風土記稿』には「社の傍に囲一丈五尺あまりの槻の老樹あり」と記されている。どちらも江戸時代後期(一八〇〇年代前半)に発行された書物である。
その当時すでに老樹だとすると、以前に本紙で紹介した多摩川原橋下流のクロマツ(二〇一九年十二月号・第二二二号)の推定樹齢二五〇年よりもずっと年長ということになる。
もちろん調布市内で最古の樹木であり、現在の樹齢は六〇〇年とも七〇〇年とも。ただし、実際の年輪を数えるのは老衰で倒木ということにでもならない限り難しいだろう。むしろ、それまでわたしたちが生きていられるかどうか……。
かつて青渭神社の前には大きな池があって、水をなみなみと湛えていたそうだ。わたしたちの中に当時の様子を知る者はいない。しかし、このケヤキは知っている。そのことに想いを致すとき、人は己の小ささに気づく。人のことばを語らない存在にこそ真実は宿る。(おわり)
(『そよかぜ』2022年3月号/このまち わがまち)