海外で生活していると、今まで気がつかなかった日本の価値に気づくことがある。その中でも、私が日本が圧倒的だと思うことの一つが商品パッケージへのこだわりの強さと技術の高さだ。

 

外国製の商品でよく不便だなと感じるのは、食料品などを封入してあるプラスチックの小袋。日本であれば、袋の端に開封用の小さい切り込みがあることを期待するが、それがないことは珍しくない。ついていたとしても、素材のせいか硬すぎたり伸びたりして開かない。袋の両端にギザギザがついているものも、そこから開く確率は低く、たいていハサミのお世話になる。ハサミを使用する際、中身が袋の端ギリギリまで封入されているものもあって確実に刃先が汚れる。開けたあと、そのパッケージのまま保存できないので、保存容器に移し替えるのが手間だ。チャック付き袋は、切り取り線の印通りに切っても、そのあたりまでべったりとシールされていて結局開かない。


たまに日本製の商品を買うと、本当に気持ちが良いくらいストレスなく開けることができる。一回で使い切らないような商品の場合は、たいていの場合、密閉できるようフタやチャックがついていて、そのまま保存ができるようになっている。時には、「なるほどね。」と思わず唸ってしまうような工夫がしてあったり、開封するのが快感とすら感じるような商品もある。

思うに、海外では開けやすさ・使いやすさよりも、輸送等の際に破損しないよう頑丈であることが優先なのだ。もしくは、それを取り入れることでコストが上がってしまうくらいなら、多少使い勝手が悪くても気にしない。

日本人の包装へのこだわりは、思いやりの心からくるものなのだろうか。私は創意工夫の源の一つは、不自由を嫌だと感じる感度の高さではないかと思う。すごく困るわけじゃない、我慢すればそのまま通り過ぎてしまうような、「ちょっと嫌」を感じた時に、それを回避できないか頭をひねってみると、新しいアイディアが出てくる。忍耐はある意味美徳だが、我慢しない精神から生まれる価値もある。

 

サルマ