いまから22年も前のこと。ドイツのローテンブルクという小さな村で2か月ほどホームステイ、というか、居候生活を送ったことがある。ローテンブルクがどんな村かはこの際すっとばして、まだ二十歳の、それでも自分は典型的なジャパニーズ(なんでもyes、いつでも集団行動、困ったら笑ってごまかす)ではない、と自負していたひとりの学生が、それ自体は大した出来事ではないけれど、本人としては、いたくショックを受けて、感心して、その後も大切にとってある出来事を、ふと思い出したので、書き残しておこうとおもう。
居候していたのは、Walter(ワルター)の家で、奥さんのMargarethe(マルグレーテ)、長女のKarin(カーリン)、次女の……、名前を忘れてしまった。の、4人家族。そこにお兄ちゃん的存在として、まだまだドイツ語も英語もおぼつかないわたし。当時、ワルターはたぶん45歳くらいで、銀行に勤めていて、カメラが趣味で、時間をつくってはローテンブルクの中や近くの村を案内してくれた。ドイツ語を勉強したての耳には、ワルターの南ドイツなまりの発音や言葉はきみょうで、おもしろかった。休みの日は家族みんなで郊外へピクニックに出かけたり、ワルターの職場の運動クラブ仲間にまぜてもらって、ローテンブルクを囲む城壁に沿ってランニングしたり。戸惑ったり、困ったりすることなんて、なにひとつなくて、時間はあっというまに過ぎていった。
マルグレーテはたぶん主婦だったと思う。朝は黒パンにハムとチーズ。お昼は軽いサンドイッチかパスタ。夜はお肉と野菜のスープ、週に何度かは外に夕飯を食べに出た。夕飯の前には4人そろってお祈りをするから、わたしもいっしょに祈ってみた。ほとんど毎日4人の真似をしてぶつぶつ声に出していたから、いまでもそらんじている。
Alle guten Gaben, alles was wir haben, kommt oh Gott von dir.
Wir danken dir dafür.
Amen
カーリンはたぶん8歳か9歳か、日本でいうところの小学校2年生くらいだったと思う。元気いっぱいのやんちゃな女の子で、カーリンからはローテンブルクの隠れスポットやら抜け道やら、いろんなことを教わった。でも、やっぱり一番おぼえているのは、カセットテープのことだ。
ある日曜日の朝、ドライブに出かけるのに、わたしが車の助手席に座ってみんなが乗り込むのを待っていると、カーリンが運転席のほうから車に乗り込んできて、カセットデッキに、自分のカセットを入れようとした。入れ方がわからないのか、縦にしたり、横にしたり、ひっくりかえしたり、ガチャガチャやっているから、ほんとうになんという気もなく、カーリンが持っているカセットを取って、デッキに入れて〈あげよう〉としたら、「やめて! 自分でやるから!」と、伸ばした手を払われた。
ドイツ人にもっともドイツ人らしい言葉は何かと聞いたら、ほぼ全員が「NEIN!(ナイン)」と答えるにちがいない。いかにも、ドイツ人らしい、8歳のカーリンの"Nein"に20歳の日本育ちの青年はたじろいだ。そして、感心した。自分のことは自分でやりたい。やりたくてやっていることを、横から気を回して取ろうとしないでくれ。困ったときには手伝ってほしいと言うから、そうでなければほっといてほしい。8歳にしてすでに、自分の中に「たい」をはっきり持っている。カセットを自分でセットし「たい」カーリンと、単にカセットが入ればいいという結果だけを求めたわたしと。
ミュージカル『Rent』に出てくるセリフで、これがジョナサン・ラーソンの一番の名台詞だと思うけど、”The opposite of war is not peace, it’s creation!"というのがある。それにあやかってみると、「ほっといての反対は、かまってじゃない。だれかやって、だ」。自分の人生をほかのだれかにやってもらうなんて、人生の放棄としか言いようがない。
まさかとは思うけど、ほっといてほしいなんて、ふだんから言ってるヤツが、困ったときだけ助けて(かまって)なんて都合のいいこと言うな、自業自得、自己責任だ、なんていま頭に浮かんだとしたら、末期だね。人間が人間であるためには、助けが必要なんだ。困っている人がいたら、手を差し伸べる。当たり前じゃないか。
自分のことはできるだけ自分でやりたい。できるところまでやって、どうしてもだめだったら、手伝ってほしい。自分の人生を、自分の足で歩きたい。そして、だれか困っている人がいたら、条件をつけずに、手を差し伸べられる人になろう。親切の顔を借りた無神経な優しさは、だれかの人生を奪っているのと同じだ。そんなことに20年も生きてきて、はじめて気づいた。気づいた、なんてエラそうなものじゃない。伸ばした手を払われて、やっと気づかされた。
あれからカーリンには会ってないから、顔も忘れてしまったし、忘れたというか、変わっているだろうし、どこにいるのか、なにをしているのかもわからなくなってしまった。なにより、ワルターは5年ほど前に亡くなった。時間を巻き戻せないことはわかっている。わかっているけれど、それでも、もういちどみんなに会いたいなあ。涙が止まらないから、ここまで。
H・ヒルネスキー