マスクを着用していない方は入店をご遠慮ください。ご来店の際はマスクの着用をお願いいたします。マスク着用のご協力をお願いします。マスク、マスク、マスク。マスクマン。マスク族。マスカレード。いっそのこと、仮面舞踏会みたいに顔全体を覆うようなものにしたらどうかね。謝肉祭の雰囲気でもいいか。覆面レスラーでもいいや。もうなんでもいいや。
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少し前に宝島社の企業広告が大ヒットした。「死ぬときぐらい 好きにさせてよ」というキャッチコピーの下で、オフィーリアの格好をした樹木希林が川に浮かんでいる。本人はそんなつもりはなかっただろうけれど、ほんとうに死んでしまう前の、ある意味で、辞世の句になった。いまでは葬式も好きにはできないらしい。逝くほうの顔は透明の袋越しだったり、棺をのぞき込むほうはマスク顔だったり。お互いにちゃんと顔を見ないまま、あの世へいかなきゃいけないなんて、さぞかしさみしかろう。
もう少し前の1982年。すっとんきょうな衣装に身を包んだ3人組が、「じたばたするなよ。世紀末が来るぜ」と歌っていた。82年だから世紀末にはまだ早い。まだ早いのだから、いまからそんなことを考えてじたばたするなよ、ってことなのかもしれない。そしていざ世紀末が来ても、この世が終わることはなかった。いまでは本格派俳優に、朝の顔に、もうひとりはなんだっけ。オレたちが証明してやるぜ。楽しくやっていれば、人生たいがいなんとかなるさ。
そこで、いまは多様性の時代だ。多様であるということは、たとえば、お仕事は「何」をされているのですか、という問いに、パッと答えるのが難しい、ということだ。「何」という固定化された仕事ではなく、「どんなふうに」仕事をしているかのほうが、より適切に自分の「働き方」を表現できる。そして、どんなふうに、の部分が自分の生き方に合っているかどうかは、人生の豊かさに直結している。と、みんながなんとなく感じ取りはじめた矢先の一億総マスク。
「人はみんな時代の生き物」と岡康道さんは言った。死ぬときぐらい好きにしたい(それ以外はがまんするから)というのは樹木希林の時代の価値観だし、じたばたするな(そんなに考え込まずに楽しくやろうぜ)というのは、シブがき隊の時代の価値観だし、そういう世代の〈肩の上に立つ〉いまの時代は、また別の価値観の上に生きているんだから、思うように生きればいい。
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マスク越しの生活が長くなれば、いつの間にか、大切な人の顔がうまく思い出せなくなってしまう。フランスの格言に、“Loin des yeux, loin du coeur.”(目から遠ければ、心から遠い)というのがある。人は社会性動物だ。寺山修二なら、きっとこう言う(かも)。「マスクを捨てよ、町へ出よう」。そろそろ直接会って、顔を見て話がしたい。
H・ヒルネスキー