以前、海外営業として勤めていた会社の上司から聞いて、「なるほどなぁ」と妙に納得したことがある。

 

私が提出した売上報告書にダメ出しをされたときのことだ。上司が言うには、会社の本部から求められているのは、「True answer(本当の答え)ではなく、Correct answer(正しい答え)」だという。たとえば、売上未達について書く場合は、為替変動や経済悪化による入札の遅れなど、経営層にとって分かりやすく、外部に要因があるということが納得できる表向きの理由付けが好ましく、込み入った現場の事情や内部の落度についての説明、真の問題がどこにあるかはそれほど重要でない、というわけである。

 

たしかに、根本的な問題を直視するのは辛いし、それを解決する方策をひねり出すのは容易ではない。でも、そういう見たくない「本当の答え」に真摯に向き合わない限り、将来の展望は暗いのではないだろうか。それまで引っかかっていたもやもやが腑に落ちたと同時に、何となく働く気がそがれて、その会社は早々に辞めてしまった。

 

もう何年も前に聞いたその話を、最近ニュースを見ていてふと思い出した。高校球児がインタビューで、甲子園中止についてどう思うかと問われていた。

 

「悔しい気持ちでいっぱいですが、ウィルス感染拡大を防ぐためにも、仕方のない決定だったと思います。これが終着点ではないので、悔しさをばねにこれから頑張りたいと思います」

 

スポーツマンらしく潔い、前向きで素晴らしい回答だった。全国に放送されるニュースということで多少よそ行きの顔になっただろうが、当然本心だっただろう。でも余りにも正しいその答えに、その奥には短い時間では言い表せなかった複雑な思いや、真の感情があったのではなかろうかと、ひとり切なくなった。テレビに映らないところで、大いに泣いて、怒って、感情を吐き出だしたら、その言葉通りに前に進んでいってほしいと思う。

 

自分自身にも感じる。日本人は特にまわりの反応を気にして、相手の喜ぶような優等生の回答で自分を飾ってしまいがちだと思う。でも時には説明しにくい、美しくない自分の本音と向き合うことも大切なのではないだろうか。「正しい答え」を探しているうちに、自分の中の「本当の答え」を見失わないようにしたい。

 

サルマ