ミヒャエル・エンデの『自由の牢獄』という小説がある。不思議な空間に迷い込んだ主人公の男が、いくつもの扉の中からひとつを選べと迫られるが、結局選べないという物語だ。人は自由になればなるほど、逆に何も選べなくなってしまうという皮肉がそこには描かれている。
現在の日本でも、この小説と同じような現象が起きている。新型コロナウイルスの感染拡大にともなう自粛要請により、オフィスワークをしていた人たちの多くがリモートワークに移行した。通勤に要していた時間がなくなったことで、いままで以上に時間を自由に使えるようになった人は多いだろう。意に反してではあるかもしれないが、新型コロナウイルスは多くの人に自由な時間をもたらすことになった。
結果どうなったのか。いままでできなかった勉強をするなど、時間を有効活用する人が増えたのだろうか。残念ながら、現実は違う。いままで学校や会社がはたしていた「強制力」や「制限」から解放されたことで、逆に不自由になってしまった人が増加したという現象が起きているのだ。事実、自由な時間が増えたことが逆にストレスとなり、鬱になる人が増えている。また、家族と一緒にいる時間が増えたがゆえに、DVや離婚の件数も増えているという。
この現象は、多くの人は何の制限もない自由をあたえられると、『自由の牢獄』の主人公のように何も選べなくなることを示している。自由な世界とは一見この世の楽園のように思えるが、うまく使いこなせない人にとっては実は牢獄なのだ。
自由を使いこなすには、自分をコントロールする力が必要だ。人は外からの強制力がなければ、どうしても楽なほうへと流されてしまいやすい。起床ひとつ取っても、会社に行かなければならないという強制力がなければ、ダラダラと二度寝してしまうものである。だからこそ、いままで外側からあたえられていた強制力や制限を自らに課したほうがいい。
新型コロナウイルスの影響で行動が制限されているいまこそ、自由を使いこなす方法を学ぶチャンスなのかもしれない。
マリエ・アントワネット