編集という仕事の終わりは、校了だ。誌面の企画、取材、原稿執筆、校正など、一冊の本が出来上がるまでには、何重にも連なる工程を経ているのだが、すべての作業は校了というゴールに向かって進んでいく。

 

いま目の前に、16世紀にドイツのハンス・ホルバインが描いた「Totentanz(死の舞踏)」という有名な木版画のコピーがある。すべての人間は死に向かって踊り狂っている存在であって、死を前にしては身分の上下など意味をなさない、というような意味の絵である。校了さえしてしまえば、死んでしまえば、どちらもそれまでの苦労から一気に解放され、真の自由を手に入れることができるのだ、と。

 

ところが、校了予定日も、臨終の日もまた、それが果たして正確にはいつのことなのか、直前までだれにもわからない。わかったような気になるのだが、直前で校了日が1日延びる。余命3か月といわれ続けて3年が経つ。霧の中を手さぐりで歩むが如く、終わりがはっきりと示されないまま、踊り続けるのが人生である。

 

それに比べれば、卒業というフレーズは明快だ。ほとんどの場合、卒業までの年数はあらかじめ決められており、そのルート上でごくふつうに生活していれば無事に卒業を迎えることができる。最後の年だから、最終学年だから、卒業だから。部長にもなれば会長にもなり、新歓コンパで花見もすれば卒業旅行にも出かける。

 

だが、どうだ。学校を卒業したあとは、どうだ。「あと何度、自分自身、卒業すれば本当の自分に辿り着けるだろう?」と尾崎豊は叫んだ。次の卒業がわからないまま、わたしたちは生きている。卒業しても卒業しても、卒業できない。何から? 何からだろう。いったい何から卒業したいのか。

 

校了は一種の卒業である。一冊の本をつくるという目的を果たす、そのめどを校了と呼ぶ。しかし、校了したからといって、自由はやってこない。次の校了に向けて、また一からの作業が待っている。校了の次にあるものは、やはり校了なのだ。とすれば、死のあとにあるのも、やはり、次の死なのではないか。死をもって、すべての終わりではなく、その向こうにまた次の死が待っている。

 

さて、校了日の朝である。もちろん、また1日、校了は延びる。

 

H・ヒルネスキー