この間、はらぺこくんと

おしゃべりをした。

 

死ぬのは

そんなに怖くもないけど

死ぬまでが怖いよね、って。

 

例えるなら

バンジージャンプの列に並んでいるみたいな感じ。

 

「ドキドキするな~

 あんな風に飛ぶのかぁ。 

 きっと大丈夫なんだろうけど怖い。

 ああっ

 だんだん順番が近づいてきた―――💦💦」

 

みたいな。

 

最近、私たちがずっと活躍を見てきた

有名人も、亡くなったりする。

 

そういう歳になってきたんだね、って。

 

少しずつ、ジャンプの

順番が近づいてるよね。

 

*********

 

でも、今日

また全然、逆のことを思ったので

はらぺこくんと、またしゃべった。

 

 

逆っていうのは

 

実は、私たちは、バンジージャンプを

すでにしたのではないか?

 

こっちの世界へ来るために。

 

なに言ってるんだ?

ですよね💦💦

 

 

列に並んで、順番を待って

えいやっ!!て

この世界へ跳んできたのですよ。

 

「どこから来たんだろう?」

 

「んーー

 天国??

 魂がたくさん、いるところ。」

 

 

「また戻るのかな?」

 

「戻るんだよ、きっと。

 で、また列に並んで

 また、バンジージャンプして 

 こっちへ来るんだよ。」

 

 

こっちの世界の一生は、

あっちの世界から見れば

バンジージャンプの、ほんの一瞬なんだろう。

 

「こっちの世界のほうが

 仮、みたいなのかな?」

 

「仮っていうか

 お祭りに来てるみたいな感じ。

 

 お祭りに参加できるのは

 ラッキーなんだよ😊」

 

「お祭りか。

 わちゃわちゃ、騒いだりしてね。」

 

「そうそう!

 あー楽しかった!って。

 怖いことも、あったなぁ、って。」

 

 

この世はお祭りみたいなもので

 

はらぺこくんは

バンジージャンプの同期なんだな。

 

本日の私の妄想

 

というか

 

発明!!

 

でした。

 

(おしまい)

 

 

 

今日は、勝手なことを口走ろうと思います。

 

************

 

 

女が愛に生きるには

 

「経済力」

だと、私は思う。

 

美とか健康とか、精神力とか

もちろんいろいろあるけれど。

 

 

経済力があれば

 

相手の男が

百万長者だろうが

一文無しだろうが

好きなように愛せるし

 

 

結婚した男が

働けなくなっても

いっしょにい続けられるし

 

 

子どもの父親と別れても

愛する子どもを

育てていける。

 

 

「愛」を選択しつづけるには

なにをおいても

経済力なのだ。

 

 

身も蓋もない?💦💦

 

 

でも、今日

共同親権の法案が可決されたと聞いて

 

いっそう、想いを強くしちゃった。

 

これからは

だれかの子どもを産むということは

 

今まで以上に

その男と結びついて切れないということ。

 

結婚する前に、

相手をよく選べばいい?

 

もちろん、そんな眼力を

若いうちから持てたとしたら

それは、とてつもない幸せだ。

 

それでも

 

時間とともに人は変わる。

 

人と人の関係性も変わる。

 

特に

子どもを持つということは

持ってみる前は

まったく想像つかなかったくらいに

一対の男女を変えうる。

 

そんなことを恐れていては

結婚も、出産も、踏み出せない。

 

 

もしも私が

今の経験をもってして

今の時代の若者になったなら

 

事実婚にしたいと思う。

 

共に添い遂げようという

その瞬間にさえ

もしもの保身のことを考えるなんて

幸せになる気があるの?

って、ツッコミたいけれど

 

 

愛したいものを愛し

 

愛がなくなったものを手放す

 

その自由を

私は絶対、失いたくないから。

 

 

 

果たして

それが「愛」ですか?

 

という問答は、とりあえず

置いといて・・・😊

 

(おしまい)

 

前も、いつか書いた気がするけど

 

恋愛は、アンビバレント。

 

 

はじめの頃は

 

私のいいところを

たくさん見て、好きになって!

 

 

 

でも

だんだん深まってくると

 

私のダメなところを見ても

好きでいてほしい

 

って、なってくる。

 

 

自分を素敵に見せたい
けど
ありのままも見てほしい。
 
 
そこを行ったり来たりするのが
恋愛の醍醐味なんだろう。
 
 
はらぺこくんは、
 
「頼りになるオレ」
を、見せてくれたかと思うと
 
「へなちょこなオレ」
も、出してくる😊
 
 
昨日は、渋滞にハマったら
めっちゃピリピリしてた!
 
小せーーーっ(⌒∇⌒)
って、心の中で思っちゃったけど
 
あ、これは
 
たぶん、見せたいんだな、
って思った。
 
無意識かもしれないけど。
 
「へなちょこなオレ」
の部分も。
 
こんなオレも愛してくれる?
って。
 
 
よし、よし😊
 
どうやって、愛してあげよう?
 
 
 
ありのままをすべて見せ合えて
それでも一緒にいられたら
 
とってもとっても安心なんだろうけど
 
私は、ちょっとだけ
退屈してしまうかもしれない。
 
アンビバレントじゃなくなるから。
 
 
(おしまい)

 

 

 

 

雨の夜のデート

 

傘を忘れたはらぺこくん

 

私のビニール傘にいっしょに入る。

 

「あいあい傘」

 

あは~ 死語だね♪

 

パラパラと

 

雨の音

雨のつぶ

 

 

 

 

やがて

小雨になって

 

雨があがった。

 

 

傘を差していたはらぺこくん。

 

パサリと閉じて

 

きゅるきゅるきゅる~っと

巻いて

パチンと留めた。

 

 

「はい」

 

差し出されたビニール傘は

ピッチリと

折り目正しく、美しく

私の傘じゃないみたい。

 

 

「すごいきれい!!

 お店で売ってる新品みたい!!」

 

「そお?

 ただ、巻いただけだよ」

 

 

どうして、さらっとできるのかな?

 

はらぺこくんの手は、魔法の手。

 

昔、むかし

お母さんが結んでくれた

ちょうちょ結びみたいだな。

 

 

 

(おしまい)

 

 

 

 

 

 

 

 

葉桜って、興ざめだな。

 

って、ずっと思ってた。

 

満開の時の、うすピンクの

こんもりしたの一色が

好きなのにな、

って。

 

でも

 

こうやって見ると、きれいだね。

 

うすピンクと緑いろ。

 

桜は、ただ咲いているだけ。

 

季節を生きている。

 

つぼみでも

満開でも

葉桜でも

花が落ちても。

 

「盛り」というのは

見ている人が決めただけなのね。

 

(おしまい)

 

「距離を置く」って苦手だ。

 

好きな人とは、

どんどん近づきたいと思ってしまう。

 

近づきすぎて、うまくいかないことも

あるんだろうに。

 

*********

 

しばらく前

 

 

「距離」が人間関係に

いかに大事か、実感した。

 

仕事で、大失態を犯した。

 

「明日までにやってね」

 

「はい」

 

と約束した仕事を

何もできていないまま、朝を迎えて

 

うちあわせに出ることになった。

 

「で、どう?」

 

「あ、途中までしかできてなくて

 今からやります💦💦」

 

取引先の人は、驚き、呆れた。

 

「どうして?

 明日までにって約束したじゃない。」

 

「はい・・・

 申し訳ありません。」

 

自分でも、なんでやれないのか

よくわからなかった。

 

仕事の難易度と量に対して

あまりに時間がなかったのは

たしかなのだけど

 

それならそれで

「できません」

って、事前に言わなきゃいけなかった。

 

ゴムが伸びきっちゃったように

感覚がバカになっていた。

 

「デキる人」

で、いられなくなっていた。

 

***********

 

自分でも、こんな自分は信じられなかった。

 

だから、帰宅してからも

2,3日、考えていた。

 

どうして?

 

私は「頼りになる人」

「必ず約束を守る人」として

ずっと、取引先の方の信頼を得ていたのに。

 

この頃、仕事がすごく忙しくて

毎日、朝から晩まで

取引先に常駐したり、

土日も連絡を取り合ったりが、多かった。

 

忙しくて疲れちゃった

ってのは、あるとしても・・・

 

今までこんな山をたくさん

乗りきってきたのにな。

 

それに、できないと思ったらら

いつもの私なら

きちんと、そうに言う。

 

そこで、ふっと頭によぎった。

 

あ、近くなり過ぎたんだ

って。

 

多くの作業時間をいっしょに過ごして

 

たくさん、

「ここはこうしたほうがいい」

と注意されたり

 

「うまくいってよかったね」

と笑いあったり

 

私、取引先の方の

懐に入ってしまった。

 

担当の方は、私より少し年上で

いっしょにご飯を食べたりして

「川野さんは妹みたい」

って言ってくれた。

 

ちょっと、出来が悪いものがあっても

「川野さんったら😊」

と、受け止めてもらえたりもして

 

それは、とっても居心地よかった。

 

いい意味で甘えられていた。

 

力になりたい、助けたいと思って

たくさんがんばったりもした。

 

そうするうちに

 

距離感が「親子」に近づいていた

のだと思う。

 

取引先の方を

親のように慕い、ほめられたいと願う。

 

すると、何が起こるか?

 

「できない私でも

 受け入れて欲しい」

 

こういう気持ちが湧いてくるのだ。

 

これは、まったくの無意識。

後から振り返って、気づいた気持ち。

 

子どもが親に対して抱く気持ちはこれ。

 

できるから受け入れられるのではなく

できなくても受け入れて欲しい。

ダメなところも愛されたい。

 

仕事でこんな気持ちを抱くなんて

いい歳して、へんなの!

 

って自分でも思うけど

意外と、どの職場でも

これは、起こっている気がする。

 

「〇〇さん!

 あなたはどうしていつもこうなの?!」

 

「すみません。」

 

って、親子のように

叱ったり、叱られたり

「ダメな子」のポジションに甘んじている部下を

見ることがある。

 

「ダメな子」を「デキる子」にするには

上司が「デキる子」として扱うのが

一番だと、私は個人的に思っている。

 

それは、距離がきちんと保たれる

ということ。

 

あなたは自立しているよね?

私が手とり足とりしなくても

十分できるよね?

という距離感で接するのだ。

 

 

人は、距離感にふさわしい

感情を抱くもの。

 

私と取引先の人は

OJTがうまくいかない上司と部下みたいに

距離が近づきすぎたんだ。

 

この話を、取引先の彼女とは

一切しなかったのだけど

 

もしかしたら、先方も同じように

感じられたのかもしれない。

 

しばらく、1,2週間くらい

まったく顔を合わせずに

最低限のやりとりをするだけの時間が過ぎ

 

再び顔を合わせた時には

彼女は、ニッコリ微笑んでいた。

 

チーム編成も、少し変更された。

 

適切な距離感に、戻そうという

力が働いたのだ。

 

彼女が意識してか、

無意識かは、わからないけど。

 

そのおかげで

私はまた、「自力でやれる人」

という、自己認識を取り戻し、

まだ挽回する機会を与えてもらえた。

 

今もいい関係で仕事ができている。

 

距離を置いてもらって

本当によかったのだと思う。

 

このやりとりは

 

言い換えると

 

「自立」と「依存」

が、偏りすぎたとも言えると思う。

 

本来、「相互依存」で

お互いが自立していい関係でいられたのに

先方が「自立」、私が「依存」に

傾きすぎてしまった。

 

このこと以来、

私は、「今、関係がどうかな?」と

俯瞰して見るようにして

「依存」になりすぎないように気をつけている。

 

長く、近くで働きすぎると

こんなことに陥ることもあるんだな。

長年フリーでやってるのに・・・

それくらい、

「甘え」という心理は、

人にとって、大事なものなのだと思う。

単純に「甘えなければいい」というものでもなく。

 

**********

 

プライベートと仕事は

別なんだろうか?

 

私は、プライベートでは

パートナーにべったり依存してしまいがち。

 

お互いが自立していると

なんだか、寂しくなってしまう。

 

でも、私の知り合いの女性では

「体の具合が悪いことも

 別にパートナーには言わない」

という人がいる。

 

彼女はずっと独身。

つきあっている人がいつでもいる方だけど。

 

男性のほうが、たいてい

彼女に惚れ込んで、依存してしまう。

 

彼女がとても「自立」だからだろう。

 

そういう風に

プライベートでも、

距離感をキープする人もいれば

 

パートナーとは、べったりがいい

という人もいるのかな。

 

私は、基本

「べったり」タイプなんだけど

 

それで、お互いを

苦しくしてしまうことも

けっこうある。

 

仕事みたいなマインドでいられたら

すごく情緒が安定するんだろうに。

 

でも、そしたら

私にとっては

恋愛をする意味が

よくわからなくなるような・・・

 

うまく消化しきれないのだけど

 

「なんでも近いほうがいい」

ってわけじゃないな

 

という学びなのでした。

 

(おしまい)