ギージア、フォルラン、大作シリーズ | celesteのウルグアイ流
7月16日、サッカー史上最大の偉業を成し遂げたウルグアイ代表最後の生き残りが心臓発作で他界しました。 アルシデス・エドガルド・ギージア、88歳でした。 
マラカナンの悲劇とも呼ばれるサッカー史上最大の偉業、1950年ブラジルワールドカップ、決勝リーグ最終戦のブラジルvsウルグアイ。 前にも書きましたが、決勝戦ではなく実際はグループリーグ最終戦で、ブラジルは引き分けでも優勝でした。 ブラジル2勝、ウルグアイ1勝1分けで迎えた最終戦。 



偶然にも65年前のサッカー史上最大の偉業と同じ日、7月16日に亡くなったこのギージア、実は決勝ゴールとなる2点目を挙げた英雄です。 勝利が絶対条件のウルグアイは後半ブラジルに先制を許します。 しかし右ウイングだったギージアのアシストからスチアフィーノの同点ゴール、更にギージアの逆転ゴールが炸裂。 セオリーとは逆のニアポストをあえて狙っていたそうです。 
「マラカナンを沈黙させたのは法王とフランク・シナトラと俺の3人だけだ」と本人が誇らしげに語っています。


国葬扱いで、本日国会議事堂で葬儀が行われます。 


元ウルグアイ代表キャプテンのディエゴ・ルガノがツイッターでギージアに「我々の国土を栄光で潤してくれてありがとう。 あなたのことは永遠に忘れない。 さらばチャンピオン。 あなたはあえて7月16日という日を選んだんだね。」というセンス溢れるメッセージを送っています。 詩人だね、トタ。


それからギージアの背番号7を引き継いでいるクリスティアン・ロドリゲスも「ウルグアイ国民にたくさんの喜びを与えたあなたの背番号7を背負うことを誇りに思います!」とツイッターで。






フォルランにカップを渡されるギージア。

そういえばフォルランに関してよくこんな記事を目にする。
「フォルランは2002年にマンチェスター・Uに加入。プレーの適応に苦しみ、2004年までの在籍でリーグ戦63試合に出場、10得点を挙げるに留まった。」
こういうことを書いてる雑魚記者は数字だけ引っ張ってきて、憶測でモノを言っているのだ。 マンチェスターユナイテッド時代のフォルランを見たこともないのだ。 
正直私も詳しい数字は調べたこともないが、仮にこの「63試合10得点」が正しいとしましょう。 でもこれ、実はスゴイ数字なのだ。 なぜなら、フォルランはマンチェスターユナイテッドではほとんど途中出場だったからだ。 この頃のフォルランは私も良く見ていたが、途中出場で重要な決勝ゴールを挙げていたと記憶している。 マンチェスターユナイテッドはファン・ニステルローイ全盛期で、クリスティアーノ・ロナウドもいた時代だ。 
63試合10得点と言ってもプレー時間で割ったらスゴイ記録のはずだ。 そりゃスペインで得点王になってもおかしくないさ。 
タコ記者ども、知らないなら黙ってろ。

そんなディエゴが最近また「記憶に残るゴールは?」と聞かれ、「2010年ワールドカップ予選、アウェーのエクアドル戦」と以前と同じ答えを。 
これ、PKなんですよ。 2010年ワールドカップベスト4+最優秀選手、2011年コパ・アメリカ優勝、スペインリーグでは2度の得点王と、アトレティコではヨーロッパリーグ決勝で先制点+延長戦での決勝ゴールと2-1で優勝に貢献した男が、南米予算のPKを挙げるんですよ。 普通これほどの偉大な男が、予選のPKを一番に答えますか? なんてイイ人なんだ。  ウルグアイのことを愛しているからこそ、こんな答えが出て来るのだ。 
前にも書きましたが、これはウルグアイにとっては本当に重要なPKだったんです。 勝たないとほとんどワールドカップへの道が閉ざされる試合。 先制されながらもスアレスのゴールで追いつき、ロスタイムにカバーニがGKに倒されて得たPK。 ディエゴがこれを左上スミに豪快に突き刺しちゃうんです。 そして同時に試合終了。 ウルグアイはワールドカップ出場が決まったかのようなお祭り騒ぎ。 
もしあのPKが外れていたら、ウルグアイは南アフリカワールドカップに出場出来ていなかった。 ディエゴ、有難う。



さあ、それでは最後に尾崎豊の個人的ビッグ3の最後の曲です。 
初めて聴いたとき、途中からガラリと曲調が変わるのには感動した。 そう、「核(コア)」です。 深く考えさせられる歌詞、「永遠の胸」、「誕生」に並ぶ大作です。