ゴールデンウイーク、中頓別のカフェ「ヤマフク」さんや旧松田商店で行われている催しものに顔を出してみようと。都会に向かう車の波と反対に、宗谷に向かう。侘助さんやトシカさんは混んでいて、食事の予約ができなかったので、昼を楽しむことにしたのだった。

寿公園は、相変わらず、とても丁寧にお手入れが行き届いていて、お客さんの少なさが本当にもったいない・・。

遊具も古き良きものがしっかり維持されていて、小さい子どもの遊園地デビューにふさわしい穴場だと思う。

動かない機関車の横を、元気よく走る機関車。

天北線は剥がされてしまったけれど、この機関車はずっと走り続けてほしい。・・鉄道のなくなった町を走る、貴重な軌道の乗り物なのだから。

5月6日、出張の切符を購入するために、この日をねらってわざわざ音威子府駅に立ち寄る。

停まっている車の台数は、それなりの利用客の存在を感じさせる。しかし、浜頓別方面から来るバスも、もうしばらく後に廃止という状況に、危機感ばかりが募る。

「日曜・祝日は休業」とされてしまった音威子府駅は、連休の中の土曜日1日だけがカレンダー通りにオープン。

そもそも全国からのお客さんなどは、この連休にここを訪れるだろうに、5月3・4・5・7日が休みで6日のみ営業とは・・・・。赤字赤字というが、本気で稼ごうと考えているようには、全く思えないのは私だけだろうか。令和5年5月5日切符なんか、そもそも購入できないし・・。とにかく、仕事の切符の購入を済ませた。

しばしば見られる「人口が少ないから鉄道も乗る人がいない、廃止してしまえ!」という言葉に対しても、強く疑問を感じる。「東京の山手線が1日に3本しか運転していなかったら、みんな乗るのか?」「山手線の部分廃止!とかで、あちこち寸断された線路になってもみんな乗るのか?」「山手線が何の路線にも接続していなくてもみんな乗るのか?」~これらは廃止によって地方で普通に不通が進んでいることだ。現在の北海道JR路線の悪循環は、いくつもの要因が重なっているだろうが、その理由の中には、活用や儲ける仕組みへのアイディアを絞り出す努力が本当に十分なのかという問題があるような印象を受ける(そもそも鉄道がそれ単体の事業で儲かるものなのか、改革に収益構造の改善という視点があったのか、色々と一般人には情報も考えも及ばない)。そうしているうちに、負のスパイラルに陥ってしまったのではないか。最も深刻なのは、この地方の人々の概念の中から鉄道が消え去ってしまったように思われることだ。

やるせない気持ちを引きずりながら、天塩川温泉で昼食を摂ると、中頓別の知り合いにばったり出会った。ここで食事して、ビッキさんのアトリエに行くのだという。素晴らしい休日の過ごし方・・。

そう、この近辺でも、実は、ある意味とても充実した時間は過ごせるのだ。