そやまです。
普段はニコニコ生放送で雑談配信してます。
1発目のブログですので今までの経緯について書きたいと思います。
2015年、鬱病、パニック障害併発のため休職
2017年、復帰敵わず退職
2020年、ニコ生で配信開始
2021年、派遣で社会復帰するも病状悪化で半年で退職
その後すぐにご縁あって在宅勤務のIT会社でパートをすることに。
今現在もそこで身体に無理なく仕事を出来ています。
大学時代は大学そっちのけで
週6で塾講師のアルバイトをしていました。
塾講師という仕事はなかなかにブラックで
社員が蒸発することはよくあることでした。
私はその穴を埋めるように社員の仕事もやっていました。
確かにハードで、夜の仕事だったため
友達と遊びに行ったりすることはできず
自分の時間を取れないアルバイトでしたが
私にとっては楽しいアルバイトでした。
何より幸福なことに周りの人に恵まれ
人間関係のいい環境で働けたから
頑張れたのだと今なら分かります。
本当に楽しい4年間のアルバイトでした。
大学卒業後も塾で正社員として働く道も考えましたが
夜からの仕事というのが引っかかって
普通に昼間に働ける職に就くことにしました。
大学生卒業後、塾講師も辞め
私は金融関係の職に就きました。
仕事内容は塾講師よりハードではなかったと思います。
ただ、私の配属された支店は
パワハラで有名な上司のいる支店でした。
職場では常に上司が誰かに罵声を浴びせる声が響き渡っていました。
ベテランのパートさんが一気に辞めたこともあり
かなりの人手不足で
仕事を教われるような環境ではありませんでした。
また何故か私を無視する上司がいました。
私の何かが気に入らなかったのでしょう。
何を聞いても無視されてしまうため
別の支店の知り合いの上司に電話して
仕事のことを教わるのがほとんどでした。
また、金融関係の職に就いた以上、
避けて通れないのが資格試験。
それが毎月のようにありました。
資格試験の勉強
日々の業務
新人にやらせるにはあまりにも無理があるノルマ
支店の雰囲気の悪さ
そういうものが積み重なって
どんどん私は体調を崩していきました。
最初は電車に乗ると具合が悪くなるようになりました。
今思えばこれがパニック障害の始まりでした。
到着駅よりも前の駅で一度降りて
休んでからまた電車に乗るということが
日常茶飯事となりました。
家から職場までが遠かったこともあり
そのうち始発に乗らないと間に合わないようになりました。
始発に乗り、ところどころの駅で降りて休んで
なんとか職場に着いても
雰囲気の悪い中で怯えながら業務をし
仕事が終われば終電まで資格試験の勉強をして
家に帰る毎日でした。
胃が痛くて病院に行って胃カメラを飲むと
胃に穴があいてると言われました。
生理が来なくなって病院に行くと
卵巣が機能してないと言われました。
それでも通院してる暇もなく仕事に行く毎日
どんどん私は身体的にも精神的にも疲労していきました。
資格試験の結果は上司経由で私に連絡がきます。
合格しても「満点で合格しないと他の支店に自慢できない」
一度だけ不合格をとってしまったときには
「こんな出来の悪い部下いらない」
と言われました。
飲み会では泊まりを強要され
「お前は色気が足りない」と謎のお叱りを受けました(笑)
そんな上司の言うことなんて聞く必要ない
聞き流せばいいと今の私は思います。
でも当時の私には
「とにかく認めてもらわなきゃ一生懸命やらなきゃ」ということしか頭にありませんでした。
そのうち、うつ病の初期症状の
物忘れや頭がうまく動かない、考えがまとまらない
などの症状が出てきましたが
「疲れてるだけ、私の要領が悪いだけ」と
踏ん張り続けました。
そして最終的にはその時の彼氏(今の旦那)が
「そやまちゃんもう限界だよ」と
私の両親に伝えてくれて
無理矢理にでも仕事を休ませてくれました。
その時ですら私は
「休めるわけないじゃん!やること沢山あるのに!」と八つ当たりしてしまいました。
次の日父は仕事を休んで
私を心療内科に連れて行ってくれました。
そこで言われたことは
「鬱病、不安障害、パニック障害」
「入院が必要」という言葉でした。
「入院しないなら誰かがこの子に付きっきりにならないと、この子はいつ死のうとするか分からない」とキッパリ言われました。
そこから私は診断書を提出して休職しました。
それで体調が良くなるのかと思いきや
休職してしまった情けなさで
私はどんどん深みにはまりました。
何も聞きたくない、見たくないと
真っ暗な部屋で布団にうずくまって
何日も泣き続けました。
あれから約8年
鬱病の方は良くなったものの
パニック発作はまだあるため
病院への通院、薬の服用は今も続けています。
もっと早く病状が悪化する前に仕事を辞めていたら
こんなに長く病院にかかることもなかったでしょう。
精神がやられてしまうと治すには長期戦になります。
私はもはや自分のパニック障害は治らないのではとも思っています。
それでもうまく折り合いをつけて共存できるようになってきたと思います。
なかなかできないような体験を
20代は色々経験しました。
でもどれも無駄ではなかった。
面白い体験だったと今なら言えます。
病気になったからこそ見えた景色があった。
人生何があるか分からないことを身をもって知れた。
いろんな生き方がある事を知れた。
なんだかんだ人間ってしぶとくて
どうにでもなることも知った。
勉強になった10年間でした。
病気になってなかったら
今の職場にもきてなかった
素敵な人たちにも出会えてなかった。
だから病気にありがとう。
素敵な人たちにも
今までの辛かったことは無駄ではなかったと
報われたと思わせてくれてありがとう。
そして何より
病気になる前から付き合っていた彼氏(今の旦那)
病気になる前と病気になった後とでは
私はかなり変わってしまっただろう。
それを受け入れてくれた。
家から職場が遠くて通勤がしんどかったとき
私の職場近くに家を借りてくれて
一緒に住もうと言ってくれた。
私がついに退職するときも
「俺の扶養に入ってゆっくり休んだらいい」と
結婚してくれた。
当時、彼も若く24歳で稼ぎも少ないのに
よく私を養おうと思ってくれたなと驚きます。
結婚してからも具合悪くて動けずにいる私の面倒を甲斐甲斐しくみてくれた。
私が夜になると泣き始めて「変な人になっちゃった」というと
「じゃあその変な人を楽しみなさい」と言ってくれた。
旦那の支えがなければ
私はここまで来れなかった。
本当に感謝です。
本当にこの10年
面白い体験を沢山させていただきました。
それも全部無駄じゃなかった。
今となってみればいい思い出さ。
だから当時の苦しんでる私に伝えたい。
「無駄なことなんて一つもないよ」って。
私を作り上げてくれた全ての人、物、事象に感謝しつつ
私は1/14に30歳を迎えます!(笑)