『満蒙開拓青少年義勇軍 ~少年と教師 それぞれの戦争~』 | da sowshall

『満蒙開拓青少年義勇軍 ~少年と教師 それぞれの戦争~』

『満蒙開拓青少年義勇軍 ~少年と教師 それぞれの戦争~』

太平洋戦争末期の昭和19年、長野県中部地方から213名の少年たちが満蒙開拓青少年義勇軍・第七次斉藤中隊として大陸へ渡った。中国東北部にあった日本の傀儡(かいらい)国家・満州国の開拓と、治安維持を担うのが目的だった。“五族協和を実現し、王道楽土を建設する”という理想を掲げ、慣れない異国の地で厳しい訓練生活を送る日々。しかし翌年8月、ソ連軍の進攻と日本の敗戦により、少年たちは過酷な運命に巻き込まれてゆく。反日感情の強い現地住民による襲撃やソ連軍との交戦、そして零下30度にもなる極寒の難民生活で、総員の半数以上が命を落とした。生き残った隊員の中には、共産党軍に加わって中国各地を転戦し、昭和30年に帰国した者もいる。彼らはなぜ、満州を目指したのか。そして、満州で何を見、何をしたのか。斉藤中隊の出身地である長野県は、全国で最も多くの義勇軍を送り出した。その背景には、国家総動員体制の下、一丸となって国策に協力した教育の実態がある。番組では、生き残った元隊員たち、義勇軍を送り出した元教師たちの証言を通して、満蒙開拓青少年義勇軍の夢と悲劇の実像、そして被害者が加害者にもなり得る戦争の構図を浮き彫りにする。